人類の発展は、先人らの得た知識や経験などが記録され、受け継がれた結果で、時代と共に記録されるツールも変化しています。
スマホやパソコンなどのデジタルツールが普及した今日では、記録された膨大なデータが活用された利便性と共に、情報の漏洩などの不都合も生じています。
そんな情報は、遠い昔の古代には、地面に木の枝で必要な記号や文字らしきものを書いたことに始まり、紙や木の皮などの利用へと移り変わっています。
ここでは、飛鳥時代の遺跡から発見された木簡に注目し、利用された場面や内容などをご紹介します。
飛鳥時代の記録に利用された木簡とは?
飛鳥時代の飛鳥宮跡の発掘調査では、2,000点を超える木簡が発見されています。
出土した木簡には、「丁丑(ひのとうし)」や「辛巳(かのとみ)」などの年号、地名、米や鮮魚名などの物品名、人名や冠位などの職名が書かれています。
つまり、「木簡」は木の板に墨で文字を記したもので、荷札や連絡事項の伝達、記録のメモなどに利用された現代のノートやカードにあたります。
そんな「木簡」は紙より丈夫で、雨にも強く、修正や再利用ができる特性があるため、荷物の保管や輸送の際の「付け札」や「荷札」などに使われています。
飛鳥時代以前の古代から「紙」は存在していますから、木片を利用した「木簡」は利用する状況に応じて使い分けと、紙の普及が広がっていなかったことが推測されます。
飛鳥時代の木簡の特徴は?誰が書いた?
飛鳥時代の木簡は、荷物の保管や輸送に「付け札」や「荷札」として使われ、藤原京や長岡京などで多く発見されています。
木簡の利用目的から、主に全国で貢進物を整えた地方の役人によって書かれ、受け取った中央の役人によって捨てられたと考えられます。
そんな木簡には、当時の人々が直接墨書きした肉筆の書が確認でき、筆法や線質、運筆のリズムなどを学ぶことができます。
また、石碑で目につくノミ跡がない木簡は、自然な筆づかいの文字が魅力となり、古典「書」の最適なお手本となっています。
一方で、一本一本の木を糸で束ねた木簡は、糸が切れるとバラバラになり、再現するのが難しく、紙の普及と共に廃れていきます。
木簡は飛鳥時代のコミュニケーションツール
飛鳥時代の遺跡からは、木の皮に墨で書かれた文字が確認できる「木簡」が多数発見され、当時の荷物の保管や輸送に利用されたことが推測されています。
紙が一般的でなかった飛鳥時代には、一枚の板状の木に情報を書き込み、糸で繋いで利用し、書いた人から受け取る人へも移動しています。
つまり、遠く離れた人とのやり取りに使われた木簡は、飛鳥時代のコミュニケーションツールで、現代の宅配便や郵便の荷札の始祖とも言えそうです。
