飛鳥時代に仏教はなぜ日本で普及したのか?日本の仏教の特徴とは?

飛鳥時代に日本に伝来した仏教ですが、なぜ日本で急速に普及したのでしょうか?

今回は飛鳥時代に仏教が普及した背景と、日本の仏教の特徴についてご紹介していきます。

スポンサーリンク
asuka-jidai.comレクタングル大?

日本に仏教が伝来したのはいつ?

日本に仏教が正式に伝来したのは、欽明天皇の戊午の年(538年)と「元興寺縁起」「上宮聖徳法王帝説」に記されています。

しかし日本書紀には、仏教伝来の年を552年としており、二つの説が存在するのです。

近年では、538年に百済の聖明王が欽明天皇に仏像や教典を与えたという説が有力とされており、「仏教伝来」ではなく「仏教公伝」と呼ぶようになっています。

仏教伝来のルートは、インド・ブッダガヤ→西北インド・ガンダーラ地方(紀元前2世紀)→中国シルクロード・敦煌(紀元前1世紀)→中国洛陽・後漢(1世紀)→高句麗・百済(4世紀)新羅(5世紀)→日本(倭国)(5世紀)と考えられています。

ちなみに、当時日本に伝来した仏教は大乗仏教で、日本で普及した仏教は、お釈迦様の教えである原始仏教と、インドや中国そして日本の風土や文化が融合したものとされています。

飛鳥時代に仏教はなぜ日本で普及したのか?

日本書紀には、545年に百済が日本の天皇のために仏像を作り、任那の日本府に贈っているとの記述がみられます。

この段階ですでに天皇は仏教を受容していたと考えられ、当初は天皇家や一部の貴族の間で仏教は広まっていました。

しかしその後、仏教は次第に地方豪族や庶民にも普及していき、朝廷の下級豪族までが一族の寺を建立するようになりました。

推古天皇や聖徳太子の定めた律令にも、仏教を奨励する項目が設けられ、その後仏教は庶民にまで広がっていくのですが、この時代に仏教が普及した理由がもう一つあるのです。

それは、この時代に訪れた異常気象に関係があります。

この時期は世界的に寒冷化の時期であり、地域によって数年から20年以上にわたって異常気象がもたらした飢饉と疫病で人々が苦しんだと伝わっています。

その天変地異のため伝統的な宗教が権威を失い、人々は現世の利益と救いをもたらす新たな信仰を求めたと推測されます。

一般的に、豊かな時代には人々は新しい宗教を受け入れようとしませんが、社会不安が広まると新しい宗教が普及するという傾向があります。

飛鳥時代に日本に仏教が伝来して普及していったのは、こういった背景もあったのです。

日本の仏教の特徴

日本に伝来した仏教は、聖徳太子が記した「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」によって仏教の思想を講じ、その結果仏教は大きく発展しました。

三経義疏は、「法華経」「勝鬘経」「維摩経」の注釈書で、全てを聖徳太子が著したかどうかについては諸説あります。

このように日本の仏教には長い歴史があり、明治維新による「神仏分離」が行われるまでは、神道と仏教は区別されない神仏習合の形態でした。

明治政府の神仏分離令によって廃仏毀釈運動が起こり、これによって日本全国の寺社にあった膨大な量の貴重な文化財が失われてしまいました。

神仏分離・廃仏毀釈によって日本の寺院は半数が姿を消したともされており、寺社だけではなく多くの仏像や教典なども破壊されてしまいました。

明治政府の本来の目的とは違ったとはいえ、このような残念な結果になってしまったことを、明治天皇は「一生の心残り」と大変悔やんだと伝わります。

スポンサーリンク
asuka-jidai.comレクタングル大?

asuka-jidai.comレクタングル大?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする