飛鳥時代に栄えた仏教文化 その背景と仏教について

飛鳥時代に花開いた飛鳥文化は、日本初の仏教文化とされています。

今回は飛鳥時代に興った仏教文化の背景と、伝来した仏教について解説していきます。

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飛鳥時代に伝来した仏教

日本書紀では552年、元興寺縁起などでは538年に、百済の聖明王の使者が欽明天皇に、金銅釈迦如来像や教典そして仏具などを献上したことが仏教伝来の始まりとされています。

その後、推古天皇の時代の「仏教興隆の詔」で各地に寺院建築が始まりました。

命ある者が最も大切な親の恩に対して感謝し、その冥福を祈るために仏像を身近に置きたいと考える人々の中に仏教信仰が始まったのです。

仏教が伝来して日本の文化や心に深く入り込んだのは、聖徳太子の功績によるものでしたが、実は最初に仏教に興味を持ち受容したのは蘇我氏でした。

そして、仏教を受容する蘇我氏と、排除しようとする物部氏の間に確執が生まれ、武力衝突に発展し、その結果物部氏は滅んでしまいました。

聖徳太子と、闘争に勝利して朝廷での地位を確立した蘇我馬子は仏教興隆を目指して、その後本格的な寺院建設を行っていきます。

飛鳥文化は日本史初の仏教文化

飛鳥文化とは、当時宮のあった飛鳥にちなんでつけられた名称です。

仏教が伝来し、当初は中国・朝鮮からの渡来人や蘇我氏などの、限られた階級の人々によって信仰されていた仏教が、国家が仏教を保護・奨励したことによって一般の人々にも広く浸透して、その結果飛鳥文化は日本初の仏教文化となりました。

594年には「仏法僧」の三宝を敬うよう「仏教興隆の詔」が推古天皇によって出され、仏教は政治の基本にも据えられたのです。

この時代の文化は、仏教の影響を受けた仏教文化であるとともに、国際性豊かな文化であることも大きな特徴です。

建築や彫刻の様式も大陸から渡来したものの特徴がみられますが、その他、高句麗から紙や墨の製法や彩色の技法なども入ってきて、飛鳥時代以前には作ることができなかった絵画や工芸品なども作られました。

飛鳥時代の仏教文化の特徴

仏教文化の特徴として、趣のある壮大な寺院やバランスの取れた伽藍の配置、そして精巧に造られた美しく神々しい仏像があげられます。

お釈迦様や薬師如来といった「如来像」、救世観音や弥勒菩薩といった「菩薩像」、そして四天王などの「天部像」などが作られ、どれも表情豊かで現代人にも癒しと感動を与えるものとなっています。

法隆寺の釈迦三尊像や薬師如来像に代表される飛鳥時代に造られた仏像は、体のパーツのバランスがやや不自然で、その後の時代に造られた仏像とは表情も異なっています。

奈良時代以降、白鳳文化の仏像は肉付きがよく、現在よく見かけるタイプの仏像はほとんどこの様式です。

また飛鳥い時代の工芸品としては、法隆寺の玉虫厨子の他、中宮寺の天寿国繍帳があり、これは聖徳太子を追悼するために下絵の上に彩色された糸で刺繍されたものとなっており、貴重な銘文もほどこされています。

これらの美術工芸品は、技法や構図はもちろん各所にみられる天馬(ペガサス)や忍冬唐草文様など、中国や朝鮮のみならず、当時のインドそして遠くギリシャの文化にもつながる国際的文化の影響を受けていることが特徴です。

このように、飛鳥時代の日本に仏教が伝来されたことで、文化のみならず日本人の意識そのものに大きな変革がもたらされました。

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