私たちが日々何気なく使っている言葉は、時と共に移ろい変化し、古典作品に出てくるような古語が、現代で新たに使われることはありません。
古語を学校で学習するのは、古典と呼ばれる古い時代の作品を読み理解するためで、発信するための言葉ではなく、受け取るためです。
そんな古い時代の言葉は、今の言葉とは発音や意味にも違いが生じていますが、なぜでしょう?
ここでは、日本の古代から国家体制が生み出された飛鳥時代の言葉が、今とどれほど違うのか、その理由や特徴についてご紹介します。
飛鳥時代の言葉が今に至るまでに変化したのはなぜ?
昭和から平成、そして令和となった日本人の世代間でも、昔は使っていた言葉が今では使わなくなったり、新たな言葉が生み出されもしています。
言葉は、受け取るだけであれば変化しませんが、人が言葉を介してやり取りすれば、発音や内容に微妙な違いが生じ、時間の経過と共に変化するわけです。
その一方、多くの人が一般的に基本的に使われる言葉は変わりにくく、使い慣れない言葉や流行語は変化しやすいといえます。
このような言葉の変化は、時々報じられる「国語に関する世論調査」やテレビのバラエティ番組などでも、世代間での違いを知ることができます。
近代でさえ言葉の違いを認識することがありますので、古代に近い飛鳥時代の言葉は、今までの長い時間の経過で変化したと容易に推測できます。
飛鳥時代の言葉の特徴は?今との違いは?
今から遠い昔、飛鳥時代と今の言葉は同じ日本語であり、根源的には現代の言語とも共通していると思われます。
ただし、文法もひとつひとつの単語や語彙には異なる部分も多く、発音は特に違っていたと想像されます。
そのため、現代人が飛鳥時代の人々が話す言葉を聞いたら、外国語以上に「意味不明」な印象を受けるのではないでしょうか。
飛鳥時代の発音では、「はひふへほ」が「ファフィフフェフォ」、あるいは「パピプペポ」といった音に近かったとも言われ、子音ではなく、母音の数が多かったとされています。
一説には、津軽弁が古代日本語の片鱗を残しているとも言われています。
飛鳥時代の言葉が移り変わって現代の言葉へ
言葉は使う人によって微妙に変化し、時の流れとともに、昔の言葉が使われなくなり、新たな言葉へと移り変わってきました。
古代の飛鳥時代に使われていた言葉は、今での言語の根源をなしていますが、個々の単語や文法などをはじめ、発音に大きな違いがあります。