人の生活の拠点となる住居は、古代人らが岩陰や洞窟を利用していた形態から、地面に穴を掘り屋根をかぶせた単純な建築物へと移り変わっています。
日本での建築様式は竪穴住居から高床倉庫へと変化し、その後、格式の高い建物には鰹木と呼ばれる棟にのせ、千木や垂木を棟で交差した形態が表れています。
日本建築の進化のなか、神が降臨する得意な場所として倉庫が神殿へと変化し、寺社や寺院建築において屋根に瓦が葺かれ始めています。
ここでは、屋根に瓦が葺かれ始めた飛鳥時代の寺院建築について、ご紹介します。
飛鳥時代の建築に瓦が使われた経緯は?
日本の建築物に瓦が使われたのは、今も残る飛鳥寺といわれ、飛鳥時代の592年に崇峻天皇によって起工されています。
それまでの掘立柱の建物とは違い、基壇を築き礎石を据えた上に柱を立てる礎石建ちの工法は、百済から招聘した寺工によって実現されています。
飛鳥時代に大陸から伝わった仏教は、それまでの日本列島に生活に関する物品をはじめ、建築様式の変化ももたらしています。
特に、中央集権の国家体制を構築しようとしたヤマト王制の朝廷は、法隆寺の建立によって「権力」を誇示する目的を有していたと推測できます。
飛鳥時代の瓦の起源は?
日本家屋につきものの「瓦」の起源は明確ではなく、諸説ありますが、紀元前900~800年ごろの中国の周の時代には使用されています。
日本で瓦が使われ始めたのは、588年ごろに朝鮮半島の百済からやってきた麻奈文奴、陽貴文、陵貴文、昔麻帝弥といった4名の瓦作り職人によって伝えられたといわれています。
蘇我氏と物部氏の有力豪族らが権力争いを演じた飛鳥時代で、宗教的な権力を誇示することで政治的な権力を握ろうとした蘇我馬子が「法隆寺」の建立を試みますが、実際には聖徳太子が父の用明天皇の病気平癒を祈願して発願したとされています。
その際に使われた「瓦」が日本の建築様式を一変させ、「法隆寺」は現存する世界最古の木造建築物としても重要視されています。
一方、飛鳥時代に伝来した仏教の始まりにあたる「飛鳥寺」は、日本に仏教が根を下ろした重要な寺ですが、建物自体は江戸時代に再建され重要性は皆無です。
飛鳥時代に伝来した「瓦」は仏教とともに
日本建築の象徴ともなっている「瓦」は、仏教が伝わった飛鳥時代に大陸から僧や職人らによってもたらされ、「法隆寺」にその起源をみることができます。
天皇に権力を集中させた中央集権国家体制構築が試みられるなか、物部氏と勢力争いを演じた蘇我馬子が宗教的な権威を誇示するために「法隆寺」の建立を試み、百済からの「瓦」技術の流入を実現させています。