少し昔の昭和の頃には、近所の公園や学校の校庭で遊ぶ子供らの姿が各地で身近に感じられていましたが、最近では様変わりしています。
最近の子供たちの遊びは、スマホやタブレット、あるいはゲーム機といったデジタルデバイスを利用したものが多く利用されているようです。
このように子供の遊びは、時代の移り変わりと共に変化していますが、昔の遊びやオモチャも学童保育や学校などの教育現場の教材ともなっています。
ここでは、そんな子供らの昔の遊び、特に、飛鳥時代の頃を中心にご紹介します。
飛鳥時代の遊びに登場した「おもちゃ」とは?
日本の伝統文化として認知されているお手玉やおはじきなどは、多くの人が幼い頃に一度は遊びの経験があるのではないでしょうか。
年を重ねるにつれ遊ばなくなっても、小さな子供との遊びを通じて懐かしさを感じたり、童心に帰る人も多いかもしれません。
そんな昔の遊びの中でも「独楽(コマ)」は、奈良県の藤原宮跡や平城京跡などで発掘されていて、飛鳥時代には楽しまれていたと推測されています。
そんな日本最古の独楽は、「ひねり独楽」や「投げ独楽」、「糸巻き独楽」などさまざまな遊び方があり、今でも日本だけでなく世界でも人気があります。
「独楽」以外の飛鳥時代の「おもちゃ」は?
飛鳥時代には「独楽」以外にも、中国から伝承された言われる「お手玉」も遊びのひとつとなっていたかもしれません。
「お手玉」は、紀元前5世紀ごろのリディア(現在のトルコ)で、羊の踵の骨を使って作られたオモチャと言われています。
お手玉は、単に遊びだけでなく、小豆などを入れる袋を作る裁縫や正座といった行儀作法を、親やその上の世代から女の子に伝える機会としても利用されてきました。
そのため、お手玉は「隔世伝承遊び」とも言われ、伝承されてきた日本の伝統文化も感じさせます。
ただ、お手玉は奈良時代に中国から伝わったとされるなど、さまざまな説があり、飛鳥時代のいつ頃遊ばれていたのかは明確ではありません。
けん玉や羽子板、めんこなど日本の伝統的なおもちゃの起源は飛鳥時代ではなく、室町時代や江戸時代、明治時代といった後の時代に誕生しています。
飛鳥時代に楽しまれ始めた遊び
飛鳥時代の6世紀ごろに楽しまれた遊びには、「独楽」や「お手玉」が挙げられます。
いずれも、日本の伝統的なおもちゃとして今に受け継がれています。
独楽は、紐の巻き付け方によって回り方が左右されるため、うまく回すためには根気強く練習する必要もあり、子供の達成感を引き出す効果も期待できます。
また、お手玉には遊びだけでなく、裁縫や行儀作法の伝承の意味も込められています。