人類が地球上に誕生し今日に至るまで、それぞれの時代で「偉人」と呼ばれる人々が登場しています。
歴史に残るような並外れて優れた人とされる「偉人」は、日本では「卑弥呼」などが古代の歴史に登場し始まりをみせています。
古代の日本列島が国家体制を構築し始めた飛鳥時代には、小学校の歴史の教科書にも登場する「偉人」たちが複数現れています。
ここでは、飛鳥時代に多大な影響をもたらした「偉人」らをご紹介します。
歴史の教科書にも登場する飛鳥時代の偉人は?
日本列島に暮らし始めた人々が、今の国家につながる統治体制を求め始めたのが、飛鳥時代です。
そんな飛鳥時代の偉人といえば、「聖徳太子」「小野妹子」「中大兄皇子」「中臣鎌足」といった人物の名前が挙げられます。
これらの偉人らは、天皇家に権力を集中させた中央集権国家体制の構築に尽力し、飛鳥時代の社会性を背景として活躍した人たちです。
もちろん、これら4人の他にも天皇家の人々や有力豪族など、多くの分野や方面で功績を残した偉人らは数多く存在します。
飛鳥時代の偉人らはどんな人だった?
前述した飛鳥時代の4人の偉人らがどんな人物だったのかといえば、大まかに以下のように説明できます。
まず、「聖徳太子」は「厩戸王(うまやどおう)」とも呼ばれ、推古天皇の摂政としてヤマト政権を天皇中心の政治体制を確立するさまざまな改革をおこなった人物です。
具体的には、中国から伝わった仏教や儒教を基盤とした「十七条の憲法」を制定し、能力評価制度の始まりともいえる「冠位十二階」の制度なども構築しています。
次に、「小野妹子」は名前だけみれば、女性にも思えますが男性で、聖徳太子の命を受け中国の「隋」に二度渡った遣隋使の一人です。
そして、「中大兄皇子」は聖徳太子の死後、朝廷に影響力を強める有力豪族の蘇我氏を、「中臣鎌足」と共に滅ぼし、天皇に権力を集中させるための改革を断行しています。
ふたりが行なった改革は「大化の改新」と呼ばれ、日本の人民と土地は天皇が支配し、人民は与えられた農地に対し、天皇に租庸調と呼ばれる税を納める制度が作られています。
これら4人の偉人は、国家体制や運営の構築に関わり功績を残した共通点を有しています。
日本の国家体制を生み出した飛鳥時代の偉人
日本列島に暮らし始めた人々が、各地に点在し集落を形成した古代から、飛鳥時代には天皇中心の政治体制を確立しようとしています。
その過程において、推古天皇の摂政として政治を行なった「聖徳太子」をはじめ、後を受け継ぎ「大化の改新」を断行した「中大兄皇子」と「中臣鎌足」らが、偉人として列挙できます。
また、大陸の文化などを持ち込むために二度も「隋」に渡った「小野妹子」も、「聖徳太子」の意思決定にも多大な影響を与えています。