飛鳥時代にお菓子はあった?なかった?

コンビニやスーパーの商品棚に並ぶキャンディやチョコレートなどのお菓子は、何気なく目にするほど、当たり前の存在となっています。

食事以外に食べる嗜好品のお菓子は本来、米や小麦、豆を主原料として、砂糖や乳製品、鶏卵、油脂、香料などが加えられて作られると定義されています。

食生活の豊かさのバロメーターともなるお菓子はいつ頃から存在し、どんなものだったのでしょうか?

ここでは、日本列島で王政国家の確立をはじめた飛鳥時代にお菓子があったのか、あったのであれば、どんな物だったのかなど、ご紹介します。

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飛鳥時代の前後にあったお菓子の歴史は?

狩猟を中心とした古代の生活では、食事以外の嗜好品を調達するの大変さは容易に想像できますが、お菓子などを食べる余裕はなかったのでしょうか?

ところが日本でのお菓子は、縄文時代には焼米や米の粉、豆の粉、餅や飴などが作られ、弥生時代を経過し、神武天皇の頃には大和高尾で水飴が作られています。

大和朝廷による国家が形成された飛鳥時代には、甘葛煎(アマヅラ)、甘草飴を甘味料に利用し始めています。

大陸との交流により、百済から仏像や経論が伝来するとともに、カチ栗や焼栗、干柿、大豆餅、小豆餅などを用いられています。

そして、遣隋使として大陸へ渡った小野妹子によって、お菓子が伝わったと考えられ、大宝令により設置された大膳職には餅係が置かれています。

さらに、遣唐使によって、唐菓子8種、菓子餅14種が伝えられています。

飛鳥時代に作られた特徴的なお菓子は?

飛鳥時代に作られた特徴的なお菓子は、「蘇(そ)」と呼ばれるチーズのようなもので、ミルク飴のような味わいだと言われています。

飛鳥時代から平安時代の貴族が味わっていた「蘇」は、牛乳を長時間只々煮詰めて冷やして作られ、見た目はパッとしたお菓子とはいえません。

そんな飛鳥時代のお菓子「蘇」が、昨今のコロナ禍によって販路を失った牛乳のピンチに、大量消費の可能性がある食品として注目を集めています。

ただ煮詰めるだけでできる飛鳥時代のお菓子「蘇」のレシピは、誰にでも作れるだけでなく、家庭時間の充実を図ろうとする人々に注目されたようです。

飛鳥時代のお菓子は遣隋使が持ち帰った「蘇」

食事以外の嗜好品であるお菓子は意外にも、古代からさまざまに食糧を加工して生み出されています。

甘味を加えたお菓子は、遣隋使として大陸に渡った小野妹子らによって伝わったと言われています。

飛鳥時代のお菓子は貴族を中心に食され、牛乳を煮詰めた「蘇(そ)」が代表的なものとなっています。

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