戸籍は日本国民一人ひとりの出生から死亡するまでの身分関係が登録され、その人を公に証明するための公簿です。
就職や結婚、相続など人生の節目となる場面での利用が多い戸籍は、最近ではマイナンバーカードの登場で、以前より意識する人も増えたのではないでしょうか。
今の戸籍は、一組の夫婦と姓を同じくする未婚の子を単位としてつくられ、届出によって記録され、本籍地の市区町村役場に保管されています。
国民情報の把握が徴税に直結す現在の戸籍制度は、日本列島で国家統治が形成され始めた飛鳥時代にその原形がつくりだされています。
ここでは、飛鳥時代につくられた「庚午年籍」や「庚寅年籍」といった戸籍制度について、ご紹介します。
日本の戸籍の始まりは?飛鳥時代には?
現在の戸籍は、厚生年金や遺族年金などの受給申請、本籍地以外での婚姻届や離婚届の提出、パスポートの発給申請、公正遺言証書の作成などを行う際に必要とされます。
登録者にとっては、自らの存在を公的に証明できるメリットがある一方、悪用されればさまざまなデメリットを被る危険性も孕んでいます。
そのため、飛鳥時代の戸籍の制度には利用する権力側と人民の双方の思惑が交錯し、日本最古の戸籍では、渡来人のみが記録されています。
そんな日本最古の戸籍は「名籍(なのふだ)」とも呼ばれ、姓名、官位、年齢などが登録されています。
渡来人のみの情報が記録された戸籍は、飛鳥時代に起きた「大化の改新」を経て、すべての人民把握を目的として記録する制度が確立されます。
全国的な公簿「庚午年籍」の記載内容は、朝廷が人民の状況を把握でき、徴兵の意図が感じられます。
また、「永久保存扱い」とされていたのも、人民支配の有益性を感じたヤマト政権の統治体制での重要性がわかります。
とはいえ、千年以上が経過した今では「庚午年籍」の現物はなく、制度が存在した史実だけが史料で確認できます。
飛鳥時代に進化した戸籍制度とは?
前述のように、天皇に権力を集中させた王制による統治体制が確立されるなか、「庚午年籍」に不足した人民の変化を記録する「庚寅年籍(こういんねんじゃく)」の戸籍制度へと改定されています。
新しい戸籍制度では、それまでの記載内容に加え家族構成や身分が追加され、6年ごとの更新によって、変化する人民の状況が把握できるように変更されています。
戸籍制度の拡充は、飛鳥時代の朝廷による人民や農地、租税の徴収、そして徴兵など、人民支配の強化を強めましたが、時間の経過と共に反発も生じています。
そんな反発は、税金逃れのための偽装や浮浪人が増加し、平安時代には制度の崩壊と消滅へと繋がっています。
こうした個人情報の扱いは、現代のマイナンバーカード利用をめぐり、賛否両論を引き起こした状況にも類似しています。
飛鳥時代に作られた二つの戸籍制度
飛鳥時代に作られた「庚午年籍」と呼ばれる戸籍制度は、「大化の改新」によって天皇に権力を集中させた中央集権国家体制の構築のために、徴兵を目的として作られています。
人民の変化を把握するため改定された「庚寅年籍」では、家族構成や身分などの記載情報が増やされ、6年ごとに更新も規定されています。
飛鳥時代の戸籍制度が、朝廷による人民支配を強める目的で生まれましたが、現在に至るまで、戸籍制度は時代背景や情報の取り扱いをめぐる変遷を繰り返しています。
社会生活を送るうえで、自らを公に証明する戸籍は登録者にとって有益な存在ですが、管理する側の意図や悪用しようとする者の存在は、今も昔もメリットとデメリットとなっています。