飛鳥時代の音楽である律令制の保護下にあった「雅楽寮」とは?

洋の東西を問わず、音楽の始まりは歌謡(声楽)が中心でした。

今回は日本の音楽の歴史、そして古代から飛鳥時代の音楽についてご紹介していきます。

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飛鳥時代に伝わった大陸文化の影響

飛鳥時代の音楽はどういったものかについては、古墳などの発掘が行われても詳しいことは不明なのが実情です。

飛鳥時代には遣隋使の派遣などで大陸との交流が盛んになり、仏教をはじめとした大陸文化が伝来しました。

これと同時に、中国や朝鮮および諸外国から外来の音楽が渡来し、日本古代の伝統音楽に加えてその種類は多様化していきました。

大陸文化の影響を受ける以前から存在した日本固有の楽器も確認されており、代表的なものとして和琴があげられます。

また、神楽笛・笏拍子も日本固有のものとみなされています。

その当時は、外来音楽と伝統音楽の二つは平行線の状態で併存していました。

飛鳥時代の推古天皇期に、新羅楽・高麗楽・唐楽などが伝来されましたが、百済から帰化した味麻之という人物が伎楽を日本に伝えたことがよく知られています。

そして日本古来の伝統音楽に加えて、大陸から伝来した音楽を宮廷音楽として存続させるために、今でいう官庁のようなものが必要になってきました。

これを「雅楽寮」といいます。

雅楽寮とは

雅楽寮とは「うたりょう」と読み、律令制で治部省に属する機関で、朝廷の音楽を司り、日本の歌舞と大陸から伝来した歌舞の演奏を担当する役所です。

雅楽寮の職務としては、様々な公的行事で雅楽を演奏することや、演奏者を養成することでした。

演奏者として海外音楽を担当する楽師と、在来音楽を担当する歌師・舞師・笛師が置かれ、また笛師の下には笛の職人である笛工が付属していました。

明治維新後、雅楽寮は三方楽所と統合されるなどして宮内庁式部職楽部とされ、1908年に現在の宮内庁にそのまま引き継がれました。

現在の「君が代」の作曲者である林廣守や、雅楽演奏家である東儀秀樹はここの出身です。

雅楽の種類

雅楽は1200年以上の昔から、日本の古典音楽として、また世界の古典音楽としても海外からも高く評価されています。

その雅楽は、飛鳥時代に仏教が伝来した時期から平安時代までに、日本独自の様式に整えられたものです。

雅楽は大別すると、以下の三種類となります。

①日本に古くから伝わる国風歌舞(くにぶりのうたまい)

②海外から伝来したもので、唐楽(中国・インドなどからきたもの)や、器楽合奏の管弦と舞のある舞楽

③平安時代にできた歌曲で、催馬楽(さいばら)や朗詠(ろうえい)など

現在耳にするいわゆる「雅楽」の管弦で演奏されている構成は、平安時代中期にできたものとされており、明治初期にオーケストラというものが輸入された時に、雅楽の「管弦」に音楽の「楽」をつけて「管弦楽」としたとされています。

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