飛鳥時代の寺院建築と、仏教渡来の深い関りとは?

飛鳥時代に建てられた寺院は、その時代に伝来した仏教と深い繋がりがあります。

ここでは、飛鳥時代の寺院建築と、仏教の渡来とのかかわりについてご説明します。

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仏教の渡来の大きな意義

飛鳥時代に大陸から渡来した仏教は、日本に大きな影響をもたらしました。

この影響の大きさは、明治維新と同じように、日本が外国の文化を取り入れて急速に近代化そして国際化したところにあります。

次第に流入してきた仏教に対して、日本国内の支配層は、その受容に積極的だった蘇我氏と、廃仏の立場の物部氏や中臣氏との間に対立が起こりました。

その権力闘争に蘇我氏とそれを支持した聖徳太子が勝ち、仏教の受容は推古天皇のもとで決定的になったのです。

そしてその過程で仏教文化が広く日本に浸透し、新しい建築様式が伝えられました。

仏教寺院の建設、その特徴

仏教が受容されたことによって、仏教寺院の建設も始まりました。

日本初の仏教寺院は、蘇我馬子が飛鳥に建てた法興寺(飛鳥寺)で、日本書紀によると着工は592年、完成は596年とされています。

この着工に先立って、百済から多数の工事人が呼ばれており、その人たちの主導によって工事が進められたと伝わっています。

この法興寺は1196年に焼失してしまいましたが、発掘調査によって、塔を囲んで三方に金堂を配置、それらを回廊で囲むという伽藍配置が確認されました。

そして回廊の外側に講堂が隣接されており、正面から見ると完全な左右対称になっていて、これは高句麗に見られる様式と同じことから、それを採用したと推測されています。

法興寺に続いて四天王寺、そして法隆寺が建てられましたが、これも正面から見ると完全な左右対象の建築様式になっています。

飛鳥時代の寺院建築の特徴

法興寺・四天王寺・法隆寺などの寺院建築の目的は、一族の繁栄の祈願ともう一つ、仏教の教えに伴った、病気平癒を祈願したものと考えられています。

後の時代に「国家の鎮護」を祈願した寺院が多く建立されますが、飛鳥時代の寺院にはそのような考え方はなかったのではないかといわれています。

飛鳥時代以前の建築物の屋根は草葺屋根だったのに対して、屋根に瓦が使用されるようになったことから、柱と柱の間を狭くして強度をあげたのも特徴の一つです。

瓦は草に比べて重いことから、それを支える柱の強度が必要になったと考えられ、また法隆寺に関しては中央に比べると端の方の柱間が狭めてあるといった工夫もされています。

素材の木は主に「桧(ひのき)」が使われていました。

桧は伐採してから300年位強度が増すという、他の建築資材では考えられない特徴があるだけではなく、それ以後も強度が保たれるといった理想的な木材です。

当時は現在のように森林の「枝打ち」や「間引き」をすることがなかったので木の生育条件が悪く、それがかえって成長が遅く年輪が詰まった良質の桧が育つ要因となりました。

このような桧のような上質な素材が日本になければ、飛鳥時代の寺院が後世まで残ることがなかったといっても過言ではありません。

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