飛鳥時代の飛鳥文化と白鳳文化との違いとは?

日本の古代の文化は、大きく分けて飛鳥文化・白鳳文化・天平文化に分けられています。

今回はその文化の特徴と違いをご紹介していきます。

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仏教伝来とともに始まった「飛鳥文化」

飛鳥文化の一番大きな特徴は、伝来した仏教の影響を受けて成立した「仏教文化」だということです。

6世紀ごろの飛鳥時代に朝鮮半島から渡来した使者たちが、仏教の教えや仏像などを日本に持ってきたのが、日本の仏教の始まりだとされています。

当時の皇族(天皇)・豪族は、朝鮮半島から伝わってきた仏教の教え、そして美しい仏像に感動して、日本国内に仏教文化を広めようと考えました。

その時代に天皇の一番の補佐役である摂政の地位にいた聖徳太子は、仏教の教えを広めることに特に熱心で、仏教寺院の建立などに尽力しました。

その中でも、世界文化遺産にも指定されている法隆寺が特に有名で、他にも四天王寺・中宮寺そして飛鳥寺の飛鳥大仏などが仏教文化の特徴をよく表しています。

飛鳥時代に造られた仏像の顔は、他の時代とは全く異なる表情をもっており、これが伝来した仏教の影響を最も受けていると考えられています。

日本的な文化の始まり「白鳳文化」

飛鳥時代の仏教伝来によって栄えた仏教文化は、その後日本風のものに変わっていきます。

それまでの中国や朝鮮半島の文化のマネだけではない、日本らしい作品が作られるようになっていくのです。

この時期に造られた仏像は、飛鳥時代に造られたものと比べると、自然な肉付きがみられ、表情も現在の仏像に近い状態になります。

白鳳文化の頃に建てられた代表的なお寺が薬師寺で、また有名な高松塚古墳の壁画もこの頃に描かれたものです。

そして、飛鳥時代に伝わった漢字がその後変化し、「ひらがな」の先祖に当たる「万葉仮名」という文字が使われ始め、日本の歴史は文章で記されることになります。

奈良の平城京で花開いた「天平文化」

7世紀後半から8世紀ごろの奈良・平城京では、白鳳文化の流れを受け継いだ天平文化が興隆しました。

この時代には遣唐使が派遣され、唐のみならずインド・ペルシャそしてアラビアなどの文化も入ってきました。

これらの多様な文化を取り入れながら、白鳳文化からの日本の個性も持ち合わせる、華やかで壮大な作品が天平文化の特徴です。

代表的なものとして、奈良の東大寺・正倉院、唐から渡来した僧・鑑真の寺・唐招提寺、また東大寺の四天王像や興福寺の阿修羅像があげられ、現在でも多くの人々を魅了しています。

そして天平文化の時代には、漢文による書物も作られるようになって、日本最古の歴史書である古事記・日本書紀が作られました。

また、万葉仮名を使った日本最古の歌集・万葉集も作られました。

大まかに言うと、飛鳥文化は百済の影響の強い文化、白鳳文化は百済以外の国の影響をも受けつつ日本色が強くなった文化、そして天平文化は唐の影響を大きく受けた文化といえます。

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