飛鳥時代と奈良時代、その境目と文化の違いとは?

歴史上、特に古代史においては文化史・政治史などによって、歴史区分は変わってきます。

今回は、飛鳥時代と奈良時代との境目やその文化の違いについてご紹介していきます。

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飛鳥時代から奈良時代へ

日本で「古代・古代史」というのは、旧石器時代(先土器時代)から平安時代までのことを指します。

旧石器時代・縄文時代・弥生時代そして古墳時代を経て飛鳥時代となるのですが、飛鳥時代以前の歴史に関してはほぼ「遺物」によってのみ研究されているにすぎません。

飛鳥時代以前は「考古学」が主役、そして飛鳥時代からは「古事記」「日本書紀」をはじめとする文献から当時の様子を探る「文献史学」という区分もされています。

飛鳥時代になって初めて17条憲法や大化の改新、そして大宝律令の制定など、政治的・文化的な特徴的な出来事が起きてきます。

便宜上、飛鳥時代の始まりは推古天皇の即位からとなっていますが、それをきっかけに何かが大きく変わったというわけではありません。

飛鳥時代の都(首都)は、飛鳥京・藤原京など数カ所遷りましたが、元明天皇の時代に平城京へ都が移された710年からが「奈良時代」とされています。

ちなみに、桓武天皇によって平安京に都が遷されたのが794年、奈良時代は84年間でした。

飛鳥文化・天平文化・そして国風文化

飛鳥時代・奈良時代、そしてその後の文化の特徴を紹介していきます。

飛鳥文化は、日本で最初の仏教文化で、中国や朝鮮などの影響がみられることです。

現存する最古の木造建築の法隆寺、そしてそこに所蔵される釈迦三尊像などにその特徴が顕著に見られます。

天平文化は奈良時代の文化で、遣唐使によって伝えられた唐の影響を強く受けていることが最大の特徴です。

仏教の影響も大きく、東大寺の大仏・唐招提寺などが代表的な建造物となっています。

そして国風文化は、平安時代以降の文化であり、京都に代表されるような日本人がイメージしやすいいわゆる日本情緒あふれる文化です。

飛鳥・奈良時代には、日本に初めて唐の文化・仏教文化が流入して大きな影響を受けましたが、平安時代は日本独特の文化が発達した時期なのです。

平城京・平安京遷都

飛鳥時代・奈良時代には何度も遷都されており、これにはいくつかの説があります。

まず、頻繁に遷都された理由として、天皇が崩御するとその場所は「穢れ」になると考えられていたことがあげられます。

天皇が崩御された宮は穢れてしまい、宮(都)を遷すのが慣例となっており、飛鳥時代には主に飛鳥の地を中心として遷都が行われました。

しかし、遷都というのは大きなできごとで、政府の機関全体をも移動しなければならないのです。

飛鳥時代に入った頃にはまだ政府の機関も単純で、それほど規模の大きなものではありませんでした。

しかし大宝律令の下律令政治が整ってくると、現在でいう省庁の数も増え、自ずと施設も増えてきたのです。

実際、度重なる遷都による財政的負担によって、既存の宮に遷都した事例もありました。

その後平城京から平安京に遷都され、京都は様々な戦乱を乗り越えて幕末まで日本の首都であり続け、江戸幕府を終わらせた明治政府の意向によって、その後江戸城が天皇の御所となり現在に至るのです。

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