日本最古の忍者は飛鳥時代に!誰が何のために忍者を用いたのか?

日本最古の忍者は飛鳥時代に存在したのではないかという、意外な記録が残っています。

今回は日本最古の忍者、そして誰が忍者を用いたのかについてご説明していきます。

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忍者は中国から伝わった

紀元前500年に記された中国の兵法書「孫子」には「敵の隙を見て情報を盗みとり軍事を行う」という記述があります。

「孫子」には丸ごと一章をあてて忍者やスパイ活動について書かれていることから、この時代から諜報活動が重要視されていたことがうかがわれます。

このことから、その頃にはすでに中国において、忍びの基礎である諜報活動が行われていたと推測され、そしてそれは、後に中国から日本に伝来しました。

また、「天照大神」の子孫である、「道臣命(みちのおみのみこと)」は日本で初めて妖術を使用したと伝わることから、道臣命が日本の忍者の祖といわれ、「大伴氏」の先祖であるとの説もありますが、あまり信憑性は高くないともいわれています。

飛鳥時代の663年におこった白村江の戦いで、日本は唐・新羅軍に敗北し、その後日本海側の警備を強化するために防人を配置しました。

ここでは狼煙(のろし)を使って情報の交換や報告をしていたとされ、このことからこの時代から忍者は信号を使い始めたと考えられています。

誰が忍者を用いたのか

日本で最初に忍者を用いたのは、飛鳥時代に活躍した聖徳太子といわれています。

聖徳太子は伊賀の大伴細人を「志能便(しのび)」または「志能備」として使い、朝廷内の情報を集めたとされているのです。

この大伴細人が日本最古の忍者であるといわれており、大伴細人は元々有力豪族の大伴氏の出身ですが、聖徳太子の時代にはすでに没落していました。

聖徳太子は大伴細人以外にも服部氏族らの忍者を使っていたともされており、服部氏族が伊賀忍者そして大伴細人が甲賀忍者の始祖だという説もあります。

またこの時代には、聖徳太子だけではなく蘇我馬子も忍者を使っていたともいわれています。

蘇我馬子が用いた忍者の役割は、諜報活動ではなく、蘇我氏の政敵を排除するための暗殺活動であったともされているのです。

聖徳太子はなぜ忍者を用いたのか

飛鳥時代の日本は、蘇我馬子を始め豪族の力によって政権が支えられていました。

そして蘇我氏と物部氏との抗争を見てもわかるように、常に流血を伴う権力争いを行ってきました。

蘇我馬子と血のつながりのある聖徳太子でも、いつ襲われるかわからない状況だったのです。

現に聖徳太子が亡くなった後、聖徳太子の一族は蘇我氏の手によって滅ぼされていることからも、その当時の不穏な空気を読み取ることができます。

政敵の動向を探って把握すること、そして自分の命や地位を守ること、それは彼らにとって必須事項だったのです。

そのため聖徳太子は、諜報活動を政治家としての護身術の一つとして忍者を用いていたと考えられるのです。

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