飛鳥時代には文字は使われていた?!日本独自の文字の誕生はいつ?

遠い飛鳥時代には、もう文字は使われていたのでしょうか?

今回は、飛鳥時代に文字は使われていたのか、そして日本独自の文字はいつ誕生したのかについてご紹介します。

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文字はどこからきたのか

推古天皇が即位し、奈良県の飛鳥地方に都が置かれて始まった時代を飛鳥時代と呼びます。

この時代には、今まで地方を支配していた豪族の時代が終わり、ヤマト政権が統一する律令国家の基礎ができました。

こうした国家の統一に向けて、進んだ文化や政治を学ぶために中国へ使節を派遣し、その結果大陸文化や仏教が日本に流入しました。

漢字はこの頃に、渡来人と呼ばれる大陸から渡ってきた人によって伝えられ、朝廷が記録文書作りのために使うようになりました。

初期のころは、文字(漢字)の使用は貴族や役人、僧侶のような限られた人々のみでしたが、律令国家の形成が進むとともに、朝廷内の記録文書のほとんどは漢文で記録されたとされています。

飛鳥時代の後期になると、大津皇子らが宮廷で漢詩文を作ったとも伝えられており、その影響で柿本人麻呂らが五七調の和歌を作り始めたとされていますが、記録する方法がなかったともされています。

ちなみに、紙は高句麗の僧が610年に神の製造法を伝えたとされ、筆に関しては以前から作られていたのではないかと考えられています。

飛鳥時代から奈良・平安時代へ

奈良時代になると漢詩文とは全く別に、漢字の意味に関係なくその音訓を組み合わせて日本語を表現する、いわゆる「万葉仮名」が登場し、これによって日本語を漢字で表すことができるようになりました。

万葉仮名は、万葉集での表記に代表されるためにこの名がついたとされています。

平安時代に入ると、遣唐使の廃止などにより国風文化(日本文化)が発達し、万葉仮名の漢字を簡略化し、記録するようになりました。

その後漢字を崩した「ひらがな」が、また漢字の一部で記した「カタカナ」が使われ始め、11世紀になると字の形も一定し始め広く使われるようになります。

飛鳥時代以前には文字がなかったのか

実は日本に漢字が伝わる以前に、すでに文字があったことを示す事例が全国各地に存在しています。

一番有名なものとして、伊勢神宮に奉納された99葉の奉納文があり、漢字ではなく古代の神代文字というもので記されているのです。

これ以外にも全国の古い神社にある石碑や、社の一部に刻まれているもの、またお札などに古代文字が記されています。

それらは、アヒル文字・アヒル草文字・ホツマ文字などと呼ばれており、一見暗号のようですが、文字としての役割を果たしているのです。

「文字(漢字)」が伝わったのは飛鳥時代に中国から、というのが常識となっていて、古事記や日本書紀より古い歴史書は存在しないとされています。

しかしそれ以前の古い時代の日本について記された書も発見されていることから、それによって古代日本でどのようなことが起こっていたのか、どんな暮らしをしていたのか新しい発見があることを期待します。

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