不安を抱えた人は、未来を展望したいがために、「占い」を信じてみたくなるのではないでしょうか?
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」といわれる占いは、実際には実現するかどうかではなく、辛さや不安な現状に耐えるために、明確なビジョンを持ちたいだけかもしれません。
さまざまな技術や科学が進歩を遂げた現代でさえ、将来への不安を抱えているのですから、生きていくだけでも大変だったろう古代や飛鳥時代にも占いが影響しています。
ここでは、飛鳥時代の前後の日本にあった占いがどんなものでだったのか、どんな関わりがあったのかなど、ご紹介します。
占いが時代背景によって果たした役割とは?
今でも占いは、多くのメディアやネットで日々更新され、不安を抱える人のポジティブさを引き出したり、話題を提供してくれています。
そんな占いも、古代や弥生時代には、国家の政治的な判断などにも利用され、飛鳥時代や奈良時代には、それぞれの時代の文化と共に楽しまれています。
平安や鎌倉へと時代が移りかわると、さまざまな政治不安を背景とした世情もあり、政治手法に占いを利用しています。
さらに戦国時代になると、合戦などの重要な決断に易学をはじめ、占いを利用する武将らが、専属の占い師を抱えています。
これらの変遷をみると、人の不安が強い世情不安な時代ほど、重要な決断に占いという他力本願な手法が用いられ、精神的な負担と現状回避が図られています。
飛鳥時代に用いられた占いの手法は?
日本最古の占い「太占(ふとまに)」は、古代日本において、鹿の肩甲骨に火のついた棒を押しつけ、骨のひび割れ具合や形で吉凶を判断しています。
また、罪の有無を判断する際、容疑者に神への誓いを立てさせ、釜で沸かした熱湯に手を入れさせ、無罪であればただれず、罪人であれば火傷するとした「盟神探湯(くがたち)」という占いも古代にはありました。
天皇に権力を集中させた中央集権国家を構築し始めた飛鳥時代には、それまでの占いから、易占(筮竹(ぜいちく))、粥占、亀卜(亀甲占い)、辻占といった形態のものに変化しています。
易占は、中国から伝わった筮竹を利用した占いで、壬申の乱では、天武天皇が自ら筮竹で占ったともいわれています。
粥占は、炊いた粥に草の茎を入れ、茎の管に入った粥の量で、その年の作物の豊作不作を占います。
亀卜は、海亀の甲羅に穴を開けて火で炙り、ひび割れの形状で吉凶を占います。
辻占は、夕暮れ時に辻に立ち、偶然通りかかった人たちが話す内容や言霊から吉凶を占います。
これらの占いは少し形を変え、特定の地方などで継承されているものもあり、古代とは違った楽しみ方ともなっています。
飛鳥時代の占いの意味と影響
古代から中央集権国家の体制をとった飛鳥時代には、国家運営の判断さえ委ねていた占いが、中国から流入した文化と共に楽しみにも活用されています。
中国で集大成された易占(筮竹)は、天武天皇が壬申の乱の判断を自ら占ったといわれ、今でも使われる占いの手法の一つです。
粥占、亀卜(亀甲占い)、辻占といったそれぞれの占いも、それまでの国家の重要な決断につなげるというより、ポジティブな未来を求めた楽しみ方が盛り込まれています。
