飛鳥時代の「飛鳥」の名前の由来

日本史において、飛鳥時代は593年に推古天皇が即位してから、710年に平城京へ遷都するまでのことを指します。

今回は飛鳥時代の「飛鳥」の意味について解説していきます。

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飛鳥時代以前の日本

日本史の時代区分では、飛鳥時代以前は「旧石器時代」「縄文時代」「弥生時代」「古墳時代」と、○○年・○○が起こったという明確な区切りがありませんでした。

それは、その頃に関しての史料が曖昧なものだったことに起因します。

593年に推古天皇が即位してそこから飛鳥時代が始まり、その後は遷都などによって時代が区分されます。

飛鳥時代の主な出来事としては、憲法17条や大宝律令などによって中央集権国家が形成され、同時に仏教の伝来など文化面でも大きな変遷が見られたことです。

言い換えれば飛鳥時代は、日本で初めて政治的な争いが歴史を彩った時代だともいえます。

ちなみに、「日本」という言葉は飛鳥時代から使われていたとされています。

飛鳥時代の「飛鳥」とは?

飛鳥時代の「飛鳥」は、現在の奈良県高市郡明日香村にある「飛鳥」という地に宮(都)が置かれていたことに由来します。

万葉集の中に、その地が「遠つ飛鳥」と呼ばれており、現在の大阪府羽曳野市に「近つ飛鳥」という場所の記載があります。

「近つ飛鳥」周辺には、大陸系の遺物が出土される6世紀以降の群衆墳が広がっています。

そしてその「遠い・近い」は、河内王朝のあった大阪南部が基準とされているという説があります。

ここで、なぜ「飛鳥」「明日香」と二種類の漢字が存在するのか説明します。

元々「あすか」というのは、日本に漢字が伝わる以前にあった地名で「スカ地」を意味します。

スカ地とは、川の流れによってできた砂州のことを指し、それに接頭語の「あ」がついて「あすか」となったという説が有力です。

そしてそれに「明日香」という美しい漢字が充てられたとされます。

そして全国各地に存在する「あすか」と区別するために、日本の中心であった「あすか」には「飛ぶ鳥の明日香」という枕詞がつけられ、これが「あすか」に二つの漢字が充てられた理由とされています。

もう一つの興味深い説

飛鳥時代のに最も有名な人物と言えば、聖徳太子です。

その聖徳太子が生まれたとされている、明日香村の橘寺から見える景色が飛ぶ鳥に見えた、そしてそこが「飛鳥」になったという説です。

橘寺の近くには聖徳太子誕生の石碑があり、橘寺は丘の上にありとても見晴らしがいい場所です。

そこから北方を見ると、真ん中の三輪山を中心として、左に龍王山・右に巻向山があり、この3つの山が大きな飛ぶ鳥に見えるということなのです。

現在では建物が多くなってしまい見えにくくなりましたが、遠い昔の聖徳太子の時代には、周囲の山が良く見えたと推測されます。

確定的とはいえない説ですが、完全に否定する根拠もなく、古代史の謎とロマンがあふれる逸話だといえるでしょう。

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