飛鳥時代の天皇中心の国づくりが、なぜ貴族が力をもった?

世界各国には、それぞれの憲法やルールがあり、これまで歩んできた歴史的な経緯にも影響されながら、国の在り方が確立されています。

そんな中、現在の日本は「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」という三原則を柱とした日本国憲法によって、国のあり方を示しています。

日本が、古代から飛鳥時代になった頃、聖徳太子は天皇中心の国づくりを目指していますが、貴族が力をもち、朝廷にも影響を及ぼしています。

ここでは、聖徳太子がなぜ天皇中心の国づくりを目指したのか、貴族がなぜ力を強めたかなど、ご紹介します。

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飛鳥時代、聖徳太子はなぜ天皇中心の国づくりを目指したのか?

飛鳥時代、聖徳太子がなぜ天皇中心の国づくりを目指したのかといえば、天皇に権力を集中させ、隋や三韓に対抗できる国家体制を望んだからと考えられます。

当時の隋が、皇帝を頂点とし、官僚で構成された政府によって統治が行われる中央集権国家だったのを参考にしたと推測できます。

そんな国家体制の構築のために、推古天皇の摂政となった聖徳太子は、「冠位十二階」の制度を設け、「十七条の憲法」を制定しています。

「冠位十二階」の制度は、役人の位をそれぞれの能力で十二段階に分け、家柄などではなく、能力主義での出世が可能にしています。

「十七条の憲法」は、人民の和を尊重し、仏教を大事に、天皇の命令に服従すべきとした三原則が提示され、天皇中心の国づくりが明文化されています。

飛鳥時代の改革で、なぜ貴族が力を強めたのか?

天皇中心の国づくりを目指した飛鳥時代の新たな制度や憲法の制定、租庸調の税制導入は、国家運営に必要な税の整備が不十分でした。

中国を見習った租庸調の徴税制度は、農民の負担があまりに大きく、朝廷への人心掌握にも失敗し、生活に困窮する農民を生み出しています。

そんな農民らを雇い開墾させ、私有地を拡大した貴族らは、娘を天皇に嫁がせ、間接的に政治に影響を及ぼす権力を握っています。

天皇に権力を集中させた国家体制の構築のなか、なぜ貴族が力を強めたのかといえば、不満を抱く農民らを抱え込みながら荘園を拡大し、収入を増やせたためといえそうです。

逆に、農民に対する税負担を軽減し、貴族からの権益を制限していれば、天皇が権力を強くできたのかもしれません。

飛鳥時代の天皇中心の国づくりで貴族が力を有したのは、なぜ?

飛鳥時代は、大陸の隋や朝鮮半島の三韓の影響と脅威と対峙するために、聖徳太子が天皇中心の国づくりを目指しています。

「冠位十二階」や「十七条の憲法」の制定は、行政制度に関する規定が明確にされていますが、国家運営に必要な財政に関する整備が不足しています。

その後、租庸調の税制が導入されますが、農民の負担は大きく、貴族らは農民らを利用して私有地である荘園の所有を増やしています。

しかも、天皇に権力を集中させたはずの国家体制の中、私財を蓄えた貴族らは、娘を嫁がせるなどで天皇家との関係も構築しています。

なぜ、貴族が力を強められたのか、国家運営に必要な財源と人脈のふたつに大きく関わったからといえそうです。

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