飛鳥時代に思いをはせる旅行、新元号「令和」ゆかりの地もご紹介

万葉集が新元号「令和」の由来となっていることで、万葉集や飛鳥時代への旅行にスポットが当たりました。

今回は、一度は訪れたい、飛鳥時代や令和ゆかりの地をご紹介をしていきます。

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万葉集のふるさと・奈良県明日香村

飛鳥時代、大和朝廷の都が置かれていたのは奈良県・明日香村です。

そこには「飛鳥川」という名の川が現在でも存在し、その飛鳥川の上流一体を「奥飛鳥」と称します。

「飛鳥川 明日も渡らむ 石橋の 遠き心は 思ほえぬかも」

このように飛鳥川は、万葉集にも詠まれている川です。

日本の棚田百選である稲渕の棚田があり、そこを通り過ぎた場所に稲渕の集落があります。

そこには橋の替わりの飛び石が置かれていて、万葉集に詠われた風景が残っています。

また、奈良県磯城郡は大和国中と呼ばれ、5月から10月の間には万葉集に詠まれた幻の花「あさざ」があちこちで可憐な黄色の花を咲かせます。

聖徳太子が斑鳩の里から三宅の原を経て、飛鳥の宮とを往来したとされる「太子道」も、現在ではウオーキングする人が増えています。

この道は、中世以降は法隆寺街道と呼ばれ、現在は町道三宅70号線として生活道路となっています。

飛鳥地方のみどころ

明日香村には、謎の巨石遺跡や石造物がたくさん存在する石舞台古墳があります。

国の特別史跡に指定されている石舞台古墳は桜の名所としても有名で、石舞台を中心に円を描くように植えられたソメイヨシノが満開の頃には見事な眺めとなります。

この石舞台古墳が誰の墓であったかはには諸説ありますが、一番有力とされているのは蘇我馬子の墓だという説です。

蘇我馬子の父である蘇我稲目の墓だという説もあり、いずれにせよ当時隆盛を極めていた蘇我氏の権力が窺われます。

「飛鳥寺」は蘇我馬子が建立した寺で、祀られている「飛鳥大仏」は飛鳥時代に作られた日本最古の大仏です。

「橘寺」は聖徳太子誕生の地として知られており、本殿(太子殿)には「聖徳太子御誕生所」と記されています。

また明日香村には、壁画で有名な特別史跡・キトラ古墳があり、発掘調査後は盗掘で破壊された石槨も、現在では修復されてきれいに整備されています。

「令和」の由来は、太宰府で詠まれた歌

万葉集には約4500首の歌が収められていますが、そのうち約320種が筑紫国(現在の福岡県)で詠まれたとされています。

そして新元号「令和」の由来としてスポットが当てられたのが、大宰府の大伴旅人邸で行われた「梅花の宴」、そして大友邸近くの大宰府政庁跡・坂本八幡神社です。

新元号発表以前は地元の方々も通り過ぎてしまうような小さな神社ですが、往時を偲ばせるように梅の木が多く植えられています。

「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」

ちなみに、万葉集の時代の日本人は「はひふへほ」と発音できなかったとされています。

話すスピードも、万葉人は現代人の5~10倍はゆっくり喋っていたとされており、「はひふへほ」を「ぱぴぷぺぽ」と発音してとみられています。

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