仏教が伝来し、新しい文化が花開いた飛鳥時代は、日本が大きく変化した時代でもありました。
今回はその飛鳥時代に、普通の農民は一体どんな暮らしをしていたのかをご紹介していきます。
飛鳥時代の農民は最下層ではなかった
飛鳥時代は、天皇を頂点とし国家が統一されて、身分カーストが形成された時代でもありました。
それは、天皇そして朝廷(皇族)・上級役人・下級役人・農民となっていましたが、実は農民の下には「賤(せん)」と呼ばれるいわゆる奴隷の階級が存在しました。
奴隷は奴婢と呼ばれ、漢の奴隷が奴、女の奴隷が婢で、奴婢は人身売買もされたと伝わっています。
政府は全ての土地を国有とし(公地公民)、農民を管理するために戸籍を作り、耕作をさせるための口分田を与えて耕作をさせました。
戸籍は、口分田での収穫から税収をとるためで、人口や家族構成などを把握して正しく税を納めるためのものです。
飛鳥時代の農民の食事
飛鳥時代の貴族はかなり豪華なもので、牛乳を加工した古代のチーズといわれる「蘇」をはじめとして、毎回十種類以上の山海の珍味が並びました。
そのため栄養の摂りすぎで、現在でいう成人病・生活習慣病になる者もいたと伝えられています。
それに比べて一般庶民・農民は、玄米に塩、山菜などの茹で野菜や海藻の汁が一般的で、そのため貴族とは逆に栄養失調で倒れる人も多かったという大変質素なものでした。
飛鳥時代に伝来された仏教の影響で、獣肉を食べることが禁止されたのもその一因であるとされています。
また、貴族の間では精白した米を食べる習慣が生まれましたが、農民は精米する時間も技術もあまりなかったことから、軽く精米した玄米を食していました。
また、農民はやせた土地でもできる「赤米」も食べていたとされ、その赤米は現在健康食として見直されている古代米の赤米とは別物です。
飛鳥時代の農民の住居
飛鳥時代の農民は、田畑に近い場所に集まって村に住みました。
貴族は豪華な屋敷で暮らしていましたが、農民たちは弥生時代とほとんど変わらず竪穴式住居で暮らしていたとされています。
竪穴式住居とは、地面を掘りそこに床と壁そして屋根を設置した住居で、家の中央に炉が置かれてそこで湯を沸かしたりしていました。
そして村には収穫した稲やトウモロコシ・小麦などを貯蔵する「高床式倉庫」が置かれました。
高床式倉庫とは、弥生時代から作られた穀物を蓄える倉で、湿気対策として風通しを良くするためやネズミなどの害を防ぐために、床を高く作った倉庫です。
この時代から人々はネズミの害に悩まされていたと思われ、その被害を守るために、床を支える柱の部分に平らな皿のような「ネズミ返し」が取り付けられていました。
このネズミ返しは日本だけではなく、東南アジアやヨーロッパなど世界の各地で発見されていることから、ネズミ除けの効果は高かったのではないかと思われています。