国家としての体制が整い始めた飛鳥時代、人々の生活の特徴とは?

飛鳥時代には、仏教の伝来や大化の改新などで人々の暮らしは大きく変化しました。

今回は、飛鳥時代の人々の暮らしについてご紹介していきます。

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律令国家へと生まれ変わった飛鳥時代の日本

飛鳥時代以前、日本は地方豪族が土地や民を支配していましたが、飛鳥時代の政治改革によって土地や民は全て天皇の下で公のものとなりました。

天皇を頂点とした中央集権国家の基礎ができた飛鳥時代でしたが、その影響で貧富の差が大きくなったこともこの時代の特徴です。

天皇や貴族の暮らしは豊かになり、富裕層は様々な食材を駆使した食事を採っていた反面、庶民の食事は弥生時代とほぼ変わらず玄米に塩そして青菜や汁などの質素な食事でした。

富裕層はその食事のせいで現在でいう生活習慣病になった人もいましたが、低層の庶民は栄養不足であったとも伝えられています。

衣服に関しても、身分の高い人は色鮮やかで立派な服を着ていましたが、庶民は麻などでできた白い布を被ったり巻いたりするだけのシンプルなものでした。

飛鳥時代の住居

飛鳥時代には仏教が伝来したことで、多くの寺院が造られました。

その建造法が普及したことによって天皇家や貴族は、広い敷地に複雑な柱の組み合わせからできた建物に住んでいました。

広い敷地の周りを板の塀で囲み、中央には主人が住む正殿、そしてその周りには広場や従者が住む家々・馬小屋・畑などがあったとされています。

また貴族の屋敷の庭にある石造物は、噴水などの施設として使われ、外国からの使者や地方から来た客が見て楽しんだともいわれています。

この頃から屋根に瓦が使用されるようになったのも大きな特徴です。

庶民の住まいは、これまでの時代から引き続き竪穴式住居に住み、村には収穫物を貯蔵する高床式倉庫なども造られました。

飛鳥時代の人々の結婚

飛鳥時代の結婚は、同じ父や母を持つ兄弟同士の結婚は認められていませんでしたが、叔父と姪・叔母と甥などの結婚は普通に行われていました。

これは皇室に限ったことだけではなく、貴族の間でも近親婚が多く行われていたとされています。

また、結婚の形は男性が女性の家に通うというものが一般的で、子供は母の実家で産み育てました。

この頃は一夫多妻制であったことから、同じ父から生まれた子供も母が違えば別の家で育つということになったのです。

皇室の場合、地位が特殊だったこともあって結婚相手を一族以外から選ぶのは難しいことでした。

皇子はどの身分の女性を招くことができたのですが、皇女の場合は他の一族の男性との結婚は許されることではありません。

しかし実際には、由緒正しい血統を維持するためには皇后は皇族でなければならなかったことから、天皇家は近親婚をせざるを得なかったのです。

ちなみに、この頃に作られた結婚に関する記述には「男性15歳・女性13歳以上であれば結婚を許可する」とされています。

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