飛鳥時代に規定された口分田の目的と農民の暮らしとは?

飛鳥時代、大化の改新によって班田収授法が制定され、農民には口分田が与えられるようになりました。

今回は、班田収授法と口分田、そして当時の農民の暮らしについてご説明していきます。

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班田収授法が定められた目的とは

日本の律令制の基盤を作るために朝廷は、全ての土地と民を天皇(国)の所有とし、一般の民衆には口分田と呼ばれる田を与えて耕作させる制度を作りました。

そして、その田からの収穫から「租」と呼ばれる税が徴収されるのです。

正しい税を徴収するためには、戸籍・計帳を作り、正しい収穫量を把握することが必要になります。

原則として、6歳以上の男女に口分田を与え、6歳以上の男には2反、6歳以上の女には男の3分の2の田を与えました。

これは6年ごとに更新され、亡くなった人の田は国へ返されます。

そして、口分田の収穫量のおよそ3%の稲を国に納める、これが班田収授法で定められた税となります。

配られた口分田の面積

口分田の面積は、1段を360歩とし、男性は2段、女性は1段120歩とされました。

1段は現代の大きさに換算すると約1000㎡で、普通の体育館ほどの大きさだとされています。

大化の改新後に定められた「良賤制」という身分制度では、民衆を良民と賤民に大別し、配られる口分田の面積は、良民か賤民かによって変わってきます。

そして賤民には5種類あり、それが五色の賤と呼ばれるものであり、全人口の1~2割位が賤民、そしてそれ以外を良民としました。

5種類の賤民とは下記のように定められていました。

①陵戸(りょうこ)・世襲制で、天皇皇族の墓守をしている賤民。仕事柄賤民とされているが良民とほぼ差がなく、良民と同じように口分田を分け与えられた。

②官戸(かんこ)・元々は官僚であったが、その父親や子供が罪を犯したせいで賤民に落とされた者。官戸も良民と同じように口分田を分け与えられた。

③家人(けにん)・元々の本家から分かれて支族となった者。その支族が豪族や貴族の元で隷属的に労働するようになったので賤民の扱いになった。口分田は良民の3分の1。

④公奴婢(くぬひ)・簡単に言うと、朝廷の雑用係。奴婢という身分は当時はモノ扱いだった。しかし良民と同じ口分田を持つことができ、納税義務もなかった。

⑤私奴婢(しぬひ)・公奴婢は朝廷の奴隷だが、私奴婢は民間(主に豪族)の奴隷であり、家を持つこともできなかった。

飛鳥時代の農民の暮らし

班田収授法はうまく機能すれば公平な税の徴収法だったのですが、実際には農民の負担が重く、貴族は税を免除されました。

農民は口分田から採れる稲を納める義務と、それ以外にも兵役や労役なども課せられていたのです。

飛鳥時代の農民は、税の負担が重く生活が困窮する者が増え、多くの農民は貧しい竪穴式住居に住んでいました。

山上憶良は、当時の農民の苦しい生活の様子を「貧窮問答歌」に歌っています。

貧窮問答歌を要約すると

「人並みに耕作しているのに、服はボロボロ家はつぶれて曲がっていて、地面には藁を敷いている。父母や妻子は嘆き悲しみ、かまどからは煙もたたず、こしき(米を蒸す道具)には蜘蛛の巣が張っている。それでも里長が鞭を持って税を取り立てる。生きることはこんなにも辛いことなのか」という感じです。

また、人口が増えるにしたがって口分田も不足し、口分田を捨てて逃げ出す農民も増えました。

この後、国は法律を変えて、開墾した3代にわたって田を所有できるようにした「三税一身の法」、さらに期限なく所有できる「墾田永年私財の法」を制定しました。

そしてこれによって班田収授法に定められた「公地公民制」の原則が崩壊し、貴族や豪族は私有地を広げ、後にこれが荘園と呼ばれることになります。

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