飛鳥時代の墓の特徴とは?古墳と陵墓の違いとは?

古代から日本では様々な葬儀方法・埋葬方法が行われていました。

今回は飛鳥時代以前の古墳や陵墓と、飛鳥時代になってからの墓についてご説明します。

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縄文時代・弥生時代の葬儀・埋葬方法

縄文時代の埋葬は、屈葬という体を曲げた状態で埋葬される方法をとっており、その理由としては諸説ありますが、埋葬されている遺体は石を抱いていたり縛られている者が多いために、霊が浮遊しないようにしていたためという説が有力とされています。

そして弥生時代には伸展葬と呼ばれる、体を伸ばした状態で埋葬することが一般的になりました。

屈葬から伸展葬に変わった理由として、体を曲げる時間的余裕がなくなったことや、遺体が生き返ることがないと分かったためだとされています。

また、その頃は稲作が伝来して農耕が発展したことから、人々が定住化して墓というものが造られ、家族墓などが集落の外に営まれるようになったとされています。

弥生時代以降は、大陸から文化が流入してきた影響もあって、土葬が根付くことになりました。

古墳時代の葬儀・古墳とは?古墳と陵墓の違いとは?

3世紀から7世紀ごろの古墳時代では、支配階級の埋葬方法に大きな変化がありました。

古墳と呼ばれる大型の墓が、近畿地方を中心として全国的に広まったのです。

古墳には多くの副葬品が入れられており、古墳時代前期は鏡・玉などの呪術的なものが中心に入れられていましたが、中期以降は馬具や武器などが多くなっっていきます。

古墳時代の前半には極めて大きな前方後円墳が多く登場し、そのほとんどが豪族一人を埋葬するためだけに造られたものとされています。

この時期の墓(古墳)は、単なる埋葬の場としてではなく、王権を継承する儀式のための祭壇でもありました。

「古墳」というのは考古学上、日本の古代特に弥生時代末期ごろに出現し、7世紀ごろまでに建造された高塚の墳墓のことをさします。

「陵(陵墓)」は、天皇・皇后の墓のことをいい、日本の法律上では皇室典範で「天皇・皇后・太皇太后及び皇太后を葬る所を陵」「その他の皇族を葬る場所を墓」と定義されています。

つまり、皇族のお墓は古墳そして御陵であり、それ以外は古墳という扱いになっています。

飛鳥時代の墓の特徴

古墳時代の末期と飛鳥時代の初期では若干時代がかぶっており、飛鳥時代初頭ではまだ古墳は作られていましたが、葬儀の文化では大きな変化が起こりました。

646年に「薄葬令」が出され、古墳の大きさや築造にかける人員や期間などが細かく制定されるようになりました。

また薄葬令では、身分に応じて墓の規模が制限されたり、豪華な副葬品や殉死なども禁止されました。

「殯(もがり)」という儀式も禁止され、火葬が行われるようになったのもこの頃です。

「殯(もがり)」とは、本葬するまでの長い間、棺におさめられた遺体に別れを惜しみ、腐敗して白骨化を確認するまで安置しておく儀式のことをいいます。

ちなみに、現在でいう「通夜」は「殯」の儀式の名残で、殯の期間が一日だけに短縮されたものとする説があります。

しかしこれらの風習はほぼ上流階級の人たちの間のことで、貧しい庶民は「風葬」という、荒野で土に還す方式で葬儀を行っていたとされています。

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