飛鳥時代に海を渡った遣隋使、派遣の目的と日本への影響とは?

第33代推古天皇の時代に、日本から隋(中国)へ派遣された遣隋使は、飛鳥時代の日本に大きな影響を与えました。

今回は、遣隋使の目的そして遣隋使が当時の日本にもたらした影響についてご説明していきます。

スポンサーリンク
asuka-jidai.comレクタングル大?

遣隋使派遣の背景と目的とは

実は日本から中国に使者が派遣されたのは遣隋使が初めてではなく、400年代の前半に「倭の五王」が朝貢していたのです。

「朝貢」とは、中国の皇帝に対し、周辺諸国の王が貢物を献上して、皇帝側が恩恵として返礼品を持たせて帰国させるというものです。

これは皇帝の徳を示し外交の秩序を築くことが目的であり、あくまで中国に従属した形での朝貢が義務とされていました。

百数十年ぶりに中国(この時代は隋)に使者が派遣されることになった背景には、581年に楊堅によって軍事大国である隋が建国され、東アジアの国際情勢が変化したことにあります。

当時、朝鮮半島では高句麗・新羅・百済の3つの国が覇権を争っており、隋との関係をどのようにするか対立していました。

日本は、隋に従属せずまた対立もしない、対等の国として隋と外交を結ぶことが第一の目的だったといわれています。

失敗に終わった第一回遣隋使

600年に最初の遣隋使派遣が行われたのですが、この時は日本からの使者が隋の初代皇帝である文帝からの質問にまともに答えられなかったことから、日本は未開発の国という印象を持たれてしまいました。

この渡航が失敗に終わったためか、この際一回遣隋使に関する記録は「日本書紀」などの日本側の記録には残っておらず、中国側の史料のみとなっています。

しかしこの派遣で、隋の文化や政治のあり方を日本に持ち帰ることができ、後に聖徳太子らのもとで活かされることになりました。

そして文明国としての体勢を整えることができた日本は608年に第二回目の遣隋使を派遣、この際に大使を務めたのが小野妹子でした。

その後数回遣隋使の派遣が行われましたが、隋が滅亡してしまったために遣隋使の派遣は終わりました。

しかし、ここで中国との交流が途絶えたわけではなく、隋の後に築かれた唐と引き続き交流を重ね、これが遣唐使と呼ばれるものです。

遣隋使がもたらした日本への影響

当時の技術では中国大陸へ船で渡る遣隋使は、現在では想像もできないほどの大事業で、多くの危険をはらんでいました。

しかし、遣隋使を派遣した結果、隋から先進的な知識や文化を吸収するこができ、後の律令国家の建設、そして大化の改新の基礎となりました。

隋との交流によって仏教が日本に正式に伝来したことで、仏教文化が興隆するきっかけとなり、仏教的な思想も日本に大きな影響を与えました。

その他、暦や天文・地理・音楽・薬学などの最新文化が日本に流入するなど、遣隋使が飛鳥時代の日本に与えた影響はとても大きなものだったのです。

スポンサーリンク
asuka-jidai.comレクタングル大?

asuka-jidai.comレクタングル大?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする