飛鳥時代で「紫」が高貴な色とされた理由とは?

飛鳥時代、紫は高貴な色とされ、冠位十二階でも紫が最高位の色とされています。

今回は、なぜ紫が高貴な色とされたのかについて詳しく説明していきます。

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「紫」と「冠位十二階」との関係

聖徳太子が紫という色を冠位十二階で最高位としたのは、中国からの影響が大きいとされています。

そして中国が紫を最高位としたのは、ギリシャやローマの影響なのです。

日本では603年に制定された冠位十二階が「紫色」の最初の出自とされており、濃い紫が最も高貴な色とされました。

この後に制定された冠位十三階では、明確に紫が最高位の色と記されており、その後様々な色順位の変遷があるにもかかわらず、紫は常に高位の色とされてきました。

そして奈良時代・平安時代になると、紫は天皇や朝廷の高官の色として「禁色」とされ、他の者は使用できませんでした。

なぜギリシャでは紫が高貴な色とされたのか

日本では紫という色を出すには、ムラサキという植物の根を粉末状にして湯に溶かし、何度も浸すという工程を繰り返しも行うため、濃い紫の色を出すには時間と技術が必要でした。

そして古代ギリシャの時代には、紫の染料は地中海で採れる巻貝から作り出されていました。

この巻貝は「アッキガイ」というグループにふくまれるもので、この貝から出される分泌物は白色なのですが、日光に晒すことによって紫色に変化するという特徴を持っています。

そしてこの分泌液が採れる量は極めて少なく、1gの染料をとるために数千匹の貝が必要となるため、非常に貴重で高価なものでした。

当時この貝は「purpura(プルプラ)」と呼ばれており、ムラサキを意味する「purple(パープル)」の語源となっているとされています。

この貴重で美しい紫は歴代のローマ皇帝に愛され、自分以外がこの紫を纏うのを禁じたとも伝えられています。

英語には現在でも「born in the purple」という表現があり、これは「王家の生まれ」といった意味で使われています。

紫の特殊な染色方法

紫という色は、日本だけではなく洋の東西を問わず高貴な色とされていました。

日本ではこの紫という色を出すためには、ムラサキという植物の根を使って染色するのですが、そのためには難しい技術が必要でした。

紫根に含まれる色素を出すには、10以上もの工程を経た染色作業が必要とされ、また紫根を大量に使用する必要がありました。

この色素の特殊性からくる、複雑で手間のかかる作業、そして他に紫色に染める材料がなかったことから、紫は特権階級のみの色となった理由の一つと考えられます。

また、紫根は染色だけでなく、古くから薬用にも利用されていました。

中国の最も古い漢方の書「神農本草経」では、毒にもなりえる養生薬として掲載されており、「心腹の邪気や、五疸の病を治す」と記されています。

日本では江戸時代に軟膏として利用され始め、花岡青洲が「紫雲膏」という軟膏を考案しました。

「紫雲膏」はごま油や豚の脂を利用して紫根から有効成分であるシコニンを抽出した軟膏で、現在でも万能軟膏として市販されています。

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