飛鳥時代を源とする、日本の染織品の色彩と文様を詳しく解説

日本の染織品の歴史は古く、飛鳥時代に源を求めることができます。

今回は、日本の染織品の色彩と文様の歴史について解説していきます。

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衣服からみる飛鳥時代

文様の歴史と共に、飛鳥時代の衣服にも少し触れておきます。

飛鳥時代を含め古代日本の衣服は、古墳時代の埴輪に見られるように「ツーピース型」でした。

そして、飛鳥時代の衣装・装飾は「天寿国繍帳(てんじゅこくぬいちょう)」に見ることができます。

天寿国繍帳とは、奈良県斑鳩町の中宮寺所蔵の、飛鳥時代の染織工芸品で、天寿国曼荼羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)とも呼ばれています。

これは聖徳太子の逝去を悼んで、妃の橘大郎女が作らせたとされており、天寿国繍帳は「聖徳太子が往生した天寿国のありさまを刺繍で表したもの」の意味です。

飛鳥時代の文様

文様とは元々、原始の時代に心に宿る恐怖・不安を呪術的な祈りを込めて、形や絵によって鎮めるためのものといわれています。

日本で使われている文様は、大陸の文化が日本に入ってきた飛鳥時代のものがルーツとされており、その後の平安時代に、隋・唐から伝えられた文様が和風にアレンジされていくのです。

飛鳥時代に中国から伝えられた「染織文様」は、貴族階級に限られており、一般庶民には見ることすらできない高貴なものでした。

そしてそれは、長い間貴族階級の中だけで受け継がれていったのです。

この「染織文様」は中国からのものをそのまま伝えたもので、その後貴族の生活に合わせた衣装に合うように工夫されて和風化していきます。

中国から伝来して日本に定着した和風の文様のことを「有職文様(ゆうそくもんよう)」といい、有識文様ともよばれています。

文様のはじまり

東大寺や正倉院に収蔵されている工芸品は中国を経て輸入された外国製品が多くなっており、日本のものも中国の影響を受けています。

織物はほとんど唐から来たものとされていますが、染め物に関しては比較的日本製のものが多くなっています。

正倉院には、現在で言う「絞り染め」「ろうけつ染め」「仮じめ染」の三纈(さんけち)と呼ばれている代表的な染め物があり、その文様が現在にも受け継がれています。

これらに見られる文様は、元々中国から渡来したものですが、中国よりもさらに遠いシルクロードの国のものも含んでいます。

亀甲文様・格子文様・縞文様・石畳・菱・鶴・鳳凰など、現在でも見られる多才な文様が、飛鳥時代から受け継がれているのです。

元々中国やより遠い国から伝えられたこれらの文様ですが、長い期間日本人がアレンジを重ねながら多用してきたことから、現在では日本の文様として定着しています。

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