およそ1400年前の日本、飛鳥時代に貴族はどんな暮らしをしていたのでしょう。
今回は飛鳥時代の貴族の生活、主に服装や食事についてご紹介していきます。
飛鳥時代の貴族
「日本」という言葉は飛鳥時代に初めて使われたとされていて、それ以前は「倭」と呼ばれていました。
古代の人々は主に狩猟生活で、家族単位のコミュニティしかありませんでしたが、弥生時代からは稲作技術が伝来して土地という概念が生まれたとされています。
そしてそれを管理する「社会」というコミュニティに発展し、社会の誕生は争いを生む原因となったのです。
その結果人々の間に優劣が生じて、強大な力を持つ「王」が必要となり、その後飛鳥時代になったころから王の地位は更に向上し、この王権を巡り貴族たちの争いが激しくなってきます。
言い換えると、飛鳥時代は貴族と庶民の生活の差が大きくなった時代ともいえます。
庶民は日々の生活を維持していくために、稲作や狩猟に明け暮れていましたが、貴族は美味しいものを食べ、蹴鞠や小弓などという「娯楽」で遊ぶという、まさに貧富の差が激しくなった時代でした。
飛鳥時代の貴族の服装
服装も身分によってかなりの違いが見られるようになります。
庶民は弥生時代とほぼ変わらすに、シンプルな自然素材の白布の服を着用していました。
一方で貴族の服装は豪華なもので、派手に染色された布が導入されます。
男性はズボン型、女性はスカート型という違いもこの時代から始まったとされています。
貴族の男性は、コートのように長い上着を腰ひもで結び、頭には冠をかぶり、冠をかぶりやすくするために「髻(もとどり)」という髪型が流行しました。
貴族の女性はゆったりした上着と腰ひも、その下には縦じま模様の裾が広がったスカート、髪は後ろにまとめて頭のてっぺんはふくらみのある髪型でした。
これらは、奈良県の高松塚古墳の壁画から復元されたものに基づいています。
飛鳥時代の貴族の食事
牛乳を飲む習慣は飛鳥時代の貴族に広まっていたとされています。
牛乳と塩を煮詰めて固めた「蘇」は古代のチーズともいわれ、その他牛乳を加工した食品も食されていました。
「お米とおかず」という食事は飛鳥時代も現在も同じですが、飛鳥時代は食事回数が一日二食だったと考えられています。
役所には、現在で言う給食センターのような役割を担う「大膳職(だいぜんしき)」役所があり、役人は大膳職が調理した食事を食べていました。
貴族の食事は15品もあり、内容もハスの実入りのご飯・焼きエビ・焼きアワビ・温野菜・汁などで、食器も金属器や漆器が用いられるという贅沢なものでした。
下級役人は7品で、主に土器が使用されていました。
その頃の庶民は一汁一菜、明らかに栄養不足で栄養失調により倒れる人も多かったと伝えられています。
逆に貴族は今で言う生活習慣病のようなものに罹った人もいた、とされ、貧富・身分の差はかなり激しかったと思われます。