飛鳥時代に大陸から来た渡来人、残した実績とは?

渡来人とは、海外から日本に渡ってきた人々を意味します。

今回は飛鳥時代に中国大陸・朝鮮半島から日本に渡った渡来人の残した実績についてご紹介していきます。

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飛鳥時代以前に渡来人が日本にもたらしたもの

水稲や関連文化の研究によって、縄文時代にはすでに水稲栽培が、渡来人によって日本に入ってきたと推測されています。

この稲作の流入は日本の文化・暮らしに大きく影響を与え、従来狩猟で食料を賄って転住を繰り返していた日本人は、田を作りその近辺に定住して村を形成するようになりました。

そして古墳時代には、ヤマト政権に仕える亡命者や技術者として、中国大陸や朝鮮半島から多くの渡来人が日本に渡りました。

4世紀後半から5世紀にかけての日本は、繰り返し大陸に出兵したとされており、このことについては高句麗の碑にも記録されています。

またこの時期には日本から朝鮮半島方向に人や物が動いた事例もみられ、朝鮮半島では弥生土器も発見されています。

飛鳥時代に渡来人がもたらした重要なものとは

飛鳥時代は、聖徳太子による遣隋使の派遣などで、大陸と交流が深まった時代でした。

日本から隋や唐に留学して様々な文化や技術を学ぶ人々も多く、また多くのの渡来人が来日したことで、日本の文化に大きな影響を与えました。

まず特筆すべきは「仏教の伝来」です。

538年(552年とも)、百済の聖明王の使いの使者が欽明天皇に金銅の釈迦如来像や教典、そして仏具などを献上したことが仏教伝来の始まりといわれています。

その後の推古天皇の時代に「仏教興隆の詔」が出されて、各地で寺院建設も始まり仏教文化が普及していったのです。

飛鳥時代の寺院・仏像の特色は、仏教が流入して間もないことから、いわゆる「日本風」ではなく、インドや中国風のものとなっています。

仏教の伝来は、寺院や仏像などだけではなく、人々の心のよりどころとなり、仏教信仰が広まっていきました。

漢字の伝来

日本に漢字がもたらされる以前は、人々は伝承や神話などを口頭で語り継いでいました。

漢字は仏教の伝来とともに、中国から朝鮮半島を経由して伝わったとされており、飛鳥時代には朝廷の作成する文書なども漢字が使用されるようになりました。

そしてその後、漢字の音だけを使用して表記した「万葉仮名」が生まれ、これは万葉集を頂点とすることからこう呼ばれるようになりました。

漢字が伝来したことによって、日本独自の万葉仮名、そして現在使われている平仮名・カタカナが誕生しました。

飛鳥時代に日本へ渡ってきた渡来人は、文字を読み書きする技術・稲作のための灌漑工事技術・馬の飼育法・鉄を生産する技術など、数々の新しい技術をもたらして、日本に大きな前進をもたらしたのです。

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