お米の歴史 飛鳥時代の米とはどういうものだったのか?

米(稲)は、紀元前3世紀に、大陸から東シナ海を渡って日本に伝わったとされています。

今回は日本の米の歴史と、飛鳥時代の米についてご紹介していきます。

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目次

飛鳥時代以前の米の歴史

4世紀から6世紀ごろの古墳時代には、田んぼの生産力が上がって食料が安定的に供給されるようになりました。

そして、米の供給は人々の食糧事情に大きく影響し、洪水などの被害があるとその後の1年は食糧が不足してしまうという事態になりました。

豪族たちは鉄器を利用し、灌漑用のため池や水路の整備を行い、川から離れた地域でも稲作が可能になりました。

そしてその後豪族たちは、この技術を応用し古墳を作ることになるのです。

弥生時代の初期には米を「焼き米」として食べていたようですが、やがて「こしき」という米を蒸す道具が遺跡から発見されたことから、土器で米を煮る、あるいは蒸す方法も行われるようになったと考えられています。

飛鳥時代の米の食べ方

飛鳥時代に入った頃には、米はこしきで蒸して食べるのが一般的になりました。

蒸した米は「強米」と呼ばれており、他にも現在のご飯と同じように炊いた「固粥」も食べらていました。

また、老人や幼児そして病人の食事として、現在のお粥とほぼ同じの「水粥」も作られていたとされています。

そして、この時代の貴族は精米した「白米」を食べる習慣が生まれ、貴族と庶民では食生活の差が大きくなっていきます。

貴族階級の人が口にした白米は「しらげのよね」と読み、この時代の精米法はかなりの手間がかかる重労働だったため、庶民はそこま手をかけることができなかったと考えられています。

かといって庶民は精米する前の玄米を食べていたわけではなく、糠が残るくらい少しだけ精米した米にアワやヒエなどの雑穀と混ぜて食べていたとされています。

古代米について

飛鳥・奈良時代に庶民が主に食べていた分つき米を「黒米」と呼びました。

また、「赤米」と呼ばれる米に関しての一番古い記録は飛鳥時代のもので、当時は貢物やお酒の材料として使われていたとされています。

当時の赤米は、普通の米が育ちにくい環境でも良く育つことから、盛んに栽培されていたと伝わります。

江戸時代以降には赤米は質の低い米として扱われ、赤米で年貢を納めることも禁止されるようになったために、徐々に育てられなくなりました。

昨今では健康志向が高まり、白米に比べて食物繊維や健康成分を多く含むことから古代米が注目されるようになりました。

現在販売されてる古代米には様々な種類があり、黒米・赤米・緑米・香り米などがあり、独特な香りや触感を持つ外国産の米も話題になっています。

現在販売されている黒米は、飛鳥時代に食べられていた黒米とは別物で、精米しても米が紫色になるのが特徴です。

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