額田王は飛鳥時代の女流歌人で、小説などでは絶世の美女・恋多き女性とされています。
今回は、額田王は本当はどんな女性だったのかについてご説明していきます。
実は謎だらけの額田王
額田王について、日本書紀では「天皇、はじめ鏡王の女(むすめ)額田王を娶(め)して、十市皇女(とをちのひめみこ)を生んだ」とだけ書かれており、これが額田王に関しての唯一の資料なのです。
そして、それ以外については万葉集の中にいくつかの額田王作の歌が残されているのみで、現在伝わっている絶世の美女などのイメージは後世の想像です。
額田王は、古代史に名を残す天武天皇そして天智天皇の二人に愛された女性、そして優れた愛の歌を残したことから「美しい女流歌人」となったと考えられます。
額田王の出生については諸説ありますが、皇族と4・5世離れた王族という見方が一般的で、19歳の頃に3歳年下の大海人皇子(天武天皇)の妃となり十市皇女を産みました。
そしてその後、大海人皇子の兄である中大兄皇子が天智天皇として即位した際に、弟の妃である額田王を側に置くために、自分の娘4人と交換しようと持ちかけたとされています。
天智・天武両天皇との恋の歌
額田王は、天武天皇と天智天皇の二人の天皇に愛されたとされていますが、その根拠は万葉集におさめられた歌によるものです。
「茜さす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」
天智天皇が蒲生野で狩り(薬草狩りとも)ををした時に、額田王とかつての夫である大海人皇子との間に交わされた恋の詩として有名な歌です。
「紫の 匂へる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも」
そしてこれは、天智天皇のいる前で、かつての夫である大海人皇子が、人目を忍んで額田王に向かって手を振るのを見て気持ちが揺れるという心情を詠ったものだとされています。
「紫草の 匂える妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも」
その時に大海人皇子は返歌として、あなたのことを憎く思うことなどはないが、あなたが人妻であることが悲しい、と詠んだとされています。
しかしこれらの解釈は全て後世の後付けで、これらの歌は宴会での座興の歌ではないかという説もあるのです。
額田王の歌と魅力
額田王を扱った作品は数多く、「あかねさす紫の花」は宝塚歌劇団によって舞台化され、また「天上の虹」という里中満智子の漫画などでも有名になりました。
いずれも天武・天智天皇との三角関係を美しく描いた作品です。
額田王が作った歌の代表的なものをご紹介します。
「君待つと わが恋ひをれば わが屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く」
「熟田津(にきたつ)に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕(こ)ぎ出でな」
いずれも恋の歌で、額田王の豊かな感性と柔らかな表現力が表われています。
額田王が恋多き女性として現代に語り継がれている要因は、彼女の詠んだ歌がそれだけ魅力的だということになるのではないかと思われるのです。