飛鳥時代の女性天皇、推古天皇とはどういう人物?

飛鳥時代初めに即位した第33代推古天皇は、日本初の女性天皇で、美人で賢かったといわれています。

今回は推古天皇について、即位の理由、そして行った政治についてご紹介していきます。

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推古天皇、即位の理由

推古天皇が初の女性天皇として即位した直接の理由は、592年に起こった第32代崇峻天皇暗殺事件でした。

崇峻天皇が急逝したことで、朝廷は急遽次期天皇を選ばなければならなくなります。

当時の天皇候補者は、押坂彦人大兄皇子・竹田皇子・厩戸皇子とされていましたが、押坂彦人大兄皇子は蘇我氏との血縁関係がないためなどの理由で候補から外されていました。

この時期は、蘇我氏と物部氏との争いの末に物部氏が滅んで蘇我氏が力を持ってからあまり時間が経過していない時期でした。

朝廷内では蘇我馬子が権勢を誇っていましたが、反蘇我氏勢力はまだ健在だったのです。

そのため、蘇我馬子の血縁関係にある竹田皇子や厩戸皇子(聖徳太子)を即位させると、反蘇我氏勢力を刺激してしまうと懸念した蘇我馬子は、以前から親密だった推古天皇を天皇に推挙したのです。

中継ぎとして即位した推古天皇

推古天皇は、天皇候補者の一人である竹田皇子の母でもあり、竹田皇子が天皇として即位するまでの中継ぎ役としての役割を担っていました。

しかし、推古天皇即位の前後に竹田皇子が亡くなってしまいます。

中継ぎとして即位した推古天皇ですが、彼女はとても聡明で優秀な人物で、信頼できる甥の厩戸皇子を摂政(天皇の補佐役)にして政治を任せることにしました。

先帝の崇峻天皇は、朝廷内で権力を牛耳る蘇我馬子とうまく関係が築けずに命を失ったとされていますが、推古天皇はその蘇我馬子そして厩戸皇子との3人で、良い協力体制を築き政治を行っていました。

その優れた政治感覚こそが、推古天皇が中継ぎとして即位したにも関わらず天皇主権の国を作る要因となったのです。

推古天皇の思惑、そして後継者問題

推古天皇は蘇我馬子と厩戸皇子とともに、17条憲法の制定や冠位十二階の導入、そして遣隋使の派遣など日本を大きく変えていきました。

繋ぎ役として即位した推古天皇でしたが、地方豪族の集合体であった今までの日本から、天皇主権の中央主権国家への変革など、大きな実績を残しました。

しかし、593年に皇太子となった厩戸皇子が、622年に若くして亡くなってしまうのです。

本命の天皇候補者が次々と亡くなってしまい、推古天皇のつなぎ役としての役目は崩壊してしまいましたが、それにも関わらず推古天皇は約35年という長期政権を築き上げてました。

そして推古天皇は、次期天皇に関しての遺言を残すこともなく、皇位継承問題は未解決のまま628年に崩御しました。

そして推古天皇亡き後の朝廷は、蘇我氏へのコントロールが失われて、天皇即位や政治は蘇我氏の思いのままとなり、しばらくの間は蘇我氏全盛の時代となってしまうのです。

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