飛鳥時代に行われた日本の転換期となった政治改革とは?

1400年前の飛鳥時代、日本で大きな政治改革が行われました。

今回は、現在の日本の基盤にもなった飛鳥時代の政治改革についてご説明していきます。

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乙巳の変からの大化の改新

以前では歴史の教科書で「645年・大化の改新」と記載されていました。

しかし645年に起こったのは、中臣鎌足と中大兄皇子による蘇我入鹿の暗殺、そして朝廷内で勢力をふるっていた豪族・蘇我氏の滅亡という「乙巳の変」です。

乙巳の変によって新政権が発足し、その後の一連の政治改革を「大化の改新」と定義づけるようになりました。

乙巳の変・大化の改新自体にも、現在では疑問点があげられており、乙巳の変のクーデターも様々な考察から、捏造ではないかという説があります。

日本書紀の記載から、乙巳の変そして大化の改新の内容が伝えられて来たのですが、その日本書紀の記載自体にも疑問が持たれているのです。

ここでは現在の教科書どおり、645年・乙巳の変、646年・改新の詔が出されて大化の改新が始まったという記載のもとにご説明していきます。

改新の詔

645年の乙巳の変によって蘇我氏が滅亡し、孝徳天皇の下、皇太子・中大兄皇子、左大臣・阿部内麻呂臣、右大臣・蘇我倉山田石川麻呂、内臣・中臣鎌足という、新体制が発足しました。

646年(大化2年)の春に、新政権の方針を示す改革の詔が発布され、これが大化の改新といわれる飛鳥時代の一連の政治改革となります。

詔は大きく四か条の主文から成り、各主文ごとに副文が設けられていました。

①公地公民制

天皇や皇族、そして豪族が支配していた土地や民を廃止して、全て中央政府が管理する公のものとしました。

②班田収授法

戸籍や計帳に基づき、豪族や民に田を預けて、その収穫から税を徴収するようになりました。

③租庸調制

公民に税や労役を税として課する制度です。

「租」は田から徴収される税で、「庸」は労働または布や米などの代用品で税を納めること、そして「調」は麻や絹などの布製品を納めること、または地方の特産品を納めることもありました。

④国郡里制

日本の行政区を、66の国に分けて、それを機内と七道の地方に制定しました。

地方は国・郡・里に編成されて、国と郡に役所が置かれて人民の統制と税の徴収を行いました。

乙巳の変・大化の改新によって何が変わったのか

乙巳の変後の新体制によって、朝廷そして日本の体制が大幅に変わりました。

それまでは各地方の豪族が民衆を直接支配していたのですが、新体制の人事と政権の運営によって、天皇を中心とした律令国家を目指すようになります。

これは、聖徳太子が提唱した中央集権国家建設の志を、具体的に引き継いだ形となります。

その後、壬申の乱など皇位継承問題などが起こりますが、この大きな改革は更に進められていき、現在の日本の体制の基礎となっていくのです。

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