遣隋使に見る飛鳥時代の日本と東アジアとの外交関係とは?

飛鳥時代の日本は、東アジアとの交流が盛んになった時期でした。

今回は、飛鳥時代に東アジアから流入した文化についてご紹介していきます。

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飛鳥時代の、東アジアの中の日本

飛鳥時代以前から日本は朝鮮半島や中国大陸の文化を取り入れてきましたが、飛鳥時代になってからはより一層積極的に東アジア文化を受容するようになりました。

4・5世紀の日本では、朝鮮半島からの渡来人によって大陸の先進技術がもたらされていましたが、その技術を使いこなすまではいっていなかったと推測されています。

しかし様々な技術を伝えた渡来人は、機内やその周辺に住み着き、その後の文化の発展に大きく寄与しました。

飛鳥時代になり推古天皇が即位したころ、隋が中国を統一したことによって東アジアに緊張が走ることとなります。

そこで、推古天皇や摂政である聖徳太子らは、日本の国を天皇を中心にまとめて自立させることの必要性を感じ、遣隋使の派遣などで大陸の先進文化の輸入をはかります。

また、朝鮮半島からの渡来僧にも学び、積極的な文化の受容が展開されるのです。

飛鳥時代の東アジア情勢

飛鳥時代以前の日本では、大陸から伝わった文化や技術を充分に使いこなせておらず、また切羽詰まった必要性もなかったとされています。

588年に蘇我馬子は朝鮮半島から技術者を招いて寺の造営に着手、596年には飛鳥寺が完成しました。

そしてその頃、中国大陸に強大な力を持つ隋が現れ、中国を統一した隋は朝鮮半島にも進出していきました。

その勢いに乗った隋に危機感を抱いた日本は、国内の整備と自立をする必要性を感じたのです。

そして聖徳太子は、朝鮮半島を飛び越して、隋と直接交流して先進文化を取り入れようとはかりました、それが遣隋使です。

聖徳太子が中国(隋)と直接交流する方針をとったのは、聖徳太子の学問の師である慧慈という高句麗から来日した僧からの示唆ともいわれています。

大陸から流入した先進技術

遣隋使の派遣によって留学していた人々や渡来人を中心に、飛鳥時代の日本は国づくりを行います。

祭祀の施設や宮殿・寺院の建築、それに伴う瓦、鍛冶製品などが生産され、それを基にした日本独自のものも開発されていきました。

また、飛鳥時代以前には文字のなかった日本に漢字が伝えられて、官僚制度や律令制度が整えられ、紙の生産法とともに「文字で紙に書く」ということができるようになります。

日本にもたらされた漢字は、そのまま中国語として受容されたのではなく、日本語に漢字を当てはめて表記する「万葉仮名」へと進化していきます。

そしてその万葉仮名は更に変化して、カタカナや平仮名が生まれるのです。

仏教の教えも、飛鳥時代に先進技術と共に日本にもたらされた大きなできごとです。

日本に伝来した仏教は、政府の厚い庇護と奨励によって、寺院や仏像にも大きな影響を与えました。

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