飛鳥時代に制定された冠位十二階は、冠の色によって朝廷内で12の位を定めた制度です。
今回はその冠位十二階を定めたことの目的、そして意味をご説明していきます。
天皇主権と冠位十二階の必要性
実はこの時代の天皇は、朝廷の要職に関しての人事権をほぼ持っていませんでした。
天皇は「どの一族を重用するのか」という点だけに影響力を持っていて、それぞれの一族を区別するために「氏(うじ)」という名をつけ、氏族ごとに身分の高さによって「姓(かばね)」という称号を着けていました。
つまり天皇は、氏族に対して任命権はあるものの、その氏族の中でどんな人事が行われるのかまでは関与できなかったのです。
天皇主権を目指した推古天皇は、このような曖昧な人事を廃するために、朝廷内の要職の人事権を手に入れることを目指したのです。
そこには、氏姓に関わらず、天皇主体の政治を担う有能な人物を登用したいという目的が「冠位十二階」にはありました。
天皇主権の障害となる氏姓制度から脱却する、そして有能な人材を登用することが冠位十二階制を制定した目的です。
冠位十二階の内容とは
冠位は偉い順に12色に分けられ、その色を見れば誰がどの冠位なのかすぐにわかるようになっています。
大徳「紫」・小徳「薄紫」・大仁「青」・小仁「薄青」・大礼「赤」・小礼「薄赤」・大信「黄」・小信「薄黄」・大義「白」・小義「薄灰色」・大智「黒」・小智「灰色」
一番高い冠位は「大徳」で、この冠名には儒教の教えが繁栄されており、当時の官僚たちが儒教を重要視していたことも伺われます。
冠位十二階制による冠位は、天皇により与えられるものでしたが、この制度の導入当時は推古天皇の側近であった聖徳太子と蘇我馬子の意見が反映され、実際にはこの二人が任命権を持っていたのではないかとされています。
そして冠位十二階の制度には例外があり、それは皇族は冠位の対象外とされたことでした。
これは「天皇家は冠位を超越した存在」ということを示すのが目的だったのではないかと思われます。
もう一つの例外と、冠位十二階の欠点
天皇家は冠位を超越した存在として冠位の対象外とされましたが、実はもう一つの例外がありました。
それは、蘇我馬子が皇族でないにも関わらず、冠位を受ける側ではなく冠位を与える側にいた、ということです。
そこには、当時の日本の政治は推古天皇・聖徳太子そして蘇我馬子の3人による共同政治だったことから、聖徳太子と蘇我馬子との関係を慮った推古天皇の政治感覚だったのではないかと考えられています。
しかしそれが、その後の蘇我氏の朝廷での権力を不動のものとするきっかけとなってしまいました。
冠位十二階制は、朝鮮や中国そしてアジアの情勢を知ることになった朝廷が、日本もしっかりした国づくりをしないといけないという危機意識を持って作り上げた制度だとされています。
天皇主権を確立させるために、不都合な氏姓制度を衰退させて、天皇が直接有能な人材を登用するために冠位十二階制を定めたといえるのです。