飛鳥時代の人物、聖徳太子の肖像画には冠(帽子)が描かれています。
今回は飛鳥時代の冠・帽子・頭巾、そして冠位十二階の色について解説していきます。
冠と烏帽子
古墳の埴輪をみると分かるように、帽子は太古から存在していましたが、朝廷の官人が制帽として冠をかぶるようになったのは、聖徳太子らによって冠位十二階制度が制定されてからと考えられています。
このような権威の象徴としての被りものから始まった帽子は、やがて成人男子の証といえる存在になっていきます。
冠は、朝廷に出仕する時に被る公式のもので、天皇は常時宮中にいるので常に冠を被っていました。
そして天皇が退位して上皇となってからは、烏帽子を着用するようになります。
日本での冠は、公家や武家の成人が、宮中参内などの際に頭にかぶる被りものとされ、黒い羅(目の粗い絹織物の一種)を漆で固めて作られたものが一般的です。
近世までは、日本では髻を結って冠をかぶる冠着の儀礼をもって成人式とし、「冠婚葬祭」の「冠」はこの事であるとされています。
冠位十二階とは
冠位十二階とは、603年に推古天皇の摂政であった聖徳太子と蘇我馬子によって制定された、色の違いによって階級の差が一目でわかるようにした制度です。
「冠位」という言葉が使用されているのは日本だけだとされていますが、似た制度が百済や新羅などにもあることから、これを参考にして制作されたものではないかと考えられています。
冠位十二階を定めた理由・目的は、家柄にこだわらず有能な人間を登用、または特別な功績のあった身分の低い者の働きに報いるためです。
そしてもう一つの理由は、日本が遣隋使を派遣したり各国の使節とコンタクトを始めたことにあり、外国への使者や、応接する側の人物の地位は、外交上とても重要になりました。
氏姓制度の下では個人単位の地位の高さがあいまいになっていましたが、冠位を制定し、冠の色で地位がわかることによって個人の地位を分かりやすくしたのです。
冠位十二階・12の色とは
冠位十二階の冠位は上から「大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智」の12段階になっています。
「徳(紫)・仁(青)・礼(赤)・信(黄)・義(白)・智(黒)」をそれぞれ二つに分けた形になり、色の濃淡によって大小の区別をつけています。
最上級の紫、特に濃紫は大変高貴な色とされていて、その後さまざまな色順位は変遷するものの、歴史的資料によると紫は常に高位の色とされています。
紫という色を布に染色するためには、ムラサキという植物の根である紫根を大量に必要とし、また染色するには特殊な技術と手間が必要でした。
その希少性から、紫色は限られた特権階級のみが使用できる色となって、高貴な色とされてきたのではないかと考えられています。